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社説・コラム

連載寄稿「ヒロシマ方程式を問い直す」 田中聰司 薄れた思いやり

中国首脳を平和会館に

 広島市役所に近い電車通りの裏筋に、小さな「広島平和会館」がある。今や3代目のこの被爆者の活動拠点が、そもそも中国からの救援金を基に誕生したことを知る人は少なくなっただろう。

 被爆から10年後の1955年、厳しい入国審査を経て第1回原水爆禁止世界大会に参加した中国代表は、被爆者にと、722万円を贈った。今の貨幣価値に換算すると、ざっと2億5千万円にもなろうか。

 大半が治療費として広島、長崎両市へ届けられた。東西冷戦下であり、東側陣営の政治的思惑もあったにせよ、無援状態だった被爆者に希望と励みを与え、援護行政への誘い水ともなった。まもなく被爆者の全国組織ができ、原爆医療法が生まれたのである。

 そして残り40万円に、その後のロシア(旧ソ連)、英国、フランス、東南アジアからの救援金と国内募金を加えて59年、当時の大手町8丁目(現中区)に初代の平和会館が完成したのだった。

 日中両国は対日賠償請求権の放棄、おわびなどを互いに表明して国交正常化を進めてきた。ところが近年、歴史認識などを巡り、かつてなく関係が悪化している。

 ヒロシマとの距離感も大きくなった。廃絶を主張していた核兵器を自らも保有。分裂した原水禁運動との関係は微妙に保っているが、広島市平和記念式典に欠席を続けているのは、核5大国のうち中国だけだ。

 核兵器の廃絶や軍縮に関する種々の条約、取り決めにもことごとく消極的である。3年前の核拡散防止条約(NPT)再検討会議や国連総会では、世界の指導者らに広島、長崎の被爆地訪問を促す日本の提案に、まさかの削除を求めた。

 「加害国でなく被害国を強調するのは歴史の歪曲(わいきょく)」と筋違いの論理で批判する。原爆資料館や国立原爆死没者追悼平和祈念館には、先の戦争でアジアの多くの人々を犠牲にした史実と、その責任を表明した資料も併せて展示しているが、こうしたヒロシマの理念に理解がないのだろうか。

 覇権を求めないと誓った日中平和友好条約の締結から40周年を迎えた。配慮に欠けた言動は対立を生む。足を踏まれた側へ思いを致す心を失ってはならない。お互いに大国になり、謙虚さ、いたわり合い、相手の立場で考える力が弱ってはいないか。首脳の度量も小さくなってはいないか。

 習近平国家主席にはぜひ、被爆地を訪れ、平和会館に立ち寄ってもらいたい。あの時の感謝を伝えなければならない。同時に、「脱核」への本心を聴きたいものである。(ヒロシマ学研究会世話人)

(2018年9月30日中国新聞セレクト掲載)

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