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社説・コラム

『潮流』 「モノ語り」の意味

■ヒロシマ平和メディアセンター長 岩崎誠

 「5時46分」で止まった時計だけで19点あるそうだ。1995年の阪神大震災の衝撃を象徴する寄贈資料が、神戸市にある「人と防災未来センター」に収蔵されている。

 震災の経験と教訓を伝えるために2002年に開設された施設。母親が暮らす関西に行くたび、時間があれば立ち寄っている。あの日の揺れを追体験するシアターなどを備えるが、常設展示された70点ほどの実物資料も生々しい。猛火で焼けたコインの塊、とっさにかぶって命を守った傷入りのヘルメット、ぐにゃり曲がった側溝のふた…。

 センターに集められた震災1次資料は約19万点。写真や書類が大半だが「モノ資料」と呼ぶ1400点以上の実物の重みは増していこう。24年前の震災を直接知らない市民が増えた。生身の記憶ではなく、専ら資料を通じて震災を知る時代はいずれ来る。

 決して悲惨さを伝えるだけではない。今月、センターの資料室のパソコンで収蔵庫にあるものを検索してみた。仮設住宅に届いた千羽鶴や励ましの寄せ書きなど心がほっこりするような資料も多い。

 広島の原爆資料館の約2万点の実物資料を思う。「無言の証人」と題し、収蔵庫に眠る資料に光を当てるシリーズを本紙で始めて1年。原爆のむごさを浮き彫りにする30点近くを取り上げてきた。

 一方で数こそ限られるが、復興期のヒロシマを伝える実物資料も、収蔵庫にある。例えば市民のために住宅を建てたフロイド・シュモー氏に賛同し、建設に携わった人たちの寄せ書きなども。これらも紹介していければと思う。

 このところ東日本大震災を語り継ぐ参考にしたいと東北から広島に足を運ぶ関係者が増えている。神戸のセンターとセットで回るのが定番と聞いた。両施設で手を携え、惨禍を乗り越えた人間の力と、それを支えた思いを「モノ語り」してはどうだろう。

(2019年1月31日朝刊掲載)

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