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社説・コラム

『潮流』 プチデモン氏の一石

■論説委員 森田裕美

 私たちは私たちであるという自由がある―。スペインからの独立問題に揺れるカタルーニャ自治州のプチデモン前州首相の物言いに、一瞬眉をひそめてしまった。少し仰々しく思えたからだ。

 スペイン当局の捜査を逃れ、ベルギーで政治活動を続けるプチデモン氏を昨年11月、訪ねた時のことである。今は取材を振り返って、その言葉を重く受け止めている。

 1年余り前、彼が率いた州政府は独立の是非を問う住民投票を強行し「独立宣言」に踏み切った。賛成は90%を占めたが、中央政府は認めず強硬手段で対抗した。投票を違憲として州の権限を停止。閣僚らを解任し反逆罪に問うた。フランコ軍事独裁政権の崩壊後に施行された民主憲法の下では初めてのことだという。

 中世以来、地中海交易などで栄えてきたカタルーニャは独自の言語、文化を持つ。商工業が盛んで国内総生産の20%近くを占める。富を中央に吸い上げられているという不満はくすぶっていたようだ。ただ独立機運の高まりは、最近のことという。

 引き金は2010年に憲法裁判所が示した判断だ。自治権拡大を含む06年制定のカタルーニャ自治憲章を「違憲」とした。「コップに張り詰めた水が最後の一滴で一気にあふれた」。現地の人はそう説明した。

 ふと沖縄の今を思った。県民の声を無視し、日本政府は名護市辺野古への米軍新基地建設を強行している。今月には県民投票が実施されるが、「辺野古は国の専権事項」などと投票に反対する首長もいた。

 「カタルーニャは国家ナショナリズムの犠牲者」と主張し、活動を続けるプチデモン氏を「分断をあおる」と冷ややかに見る向きがある。

 だが私たちは「政府が決めたこと」に思考停止していないだろうか。「独立宣言」は、そんな社会に投じられた一石のように思える。

(2019年2月2日朝刊掲載)

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