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社説・コラム

天風録 『月星の眺め』

 濃い藍色の空に三日月が浮かび右上に星が一つ輝く。「1969.7.20の月星」と題する油彩は、シベリア抑留から故郷の長門市三隅に戻り、生涯絵筆を握った香月泰男の作品である。画業を伝える地元の美術館の人気投票で1位になりいま展示されている▲半世紀前のこの日、米国のアポロ11号が月にたどり着き、人類は初めて月面に降り立つ。中継映像に世界がくぎ付けになり、快挙に沸き立つ陰で、米ソは宇宙開発に火花を散らしていた▲数年後、香月は「このごろの月ももはや清浄感がなくなった」と自著に記す。過酷な戦争体験を刻んだ画家にとって自然豊かな故郷で家族と暮らし、絵を描けることが幸せだった。そして「ここが<私の地球>」と呼んだ▲人気投票上位の作品の多くは、集落の雪景色や皿上の卵、ままごと遊び、食器棚など日常がモチーフになっていた。「特別なものはなくても、描くものはいくらでもあった」。学芸員の丸尾いとさんから、そう聞いた▲天空に目を転じると大国が軍拡を競う舞台にも映る。米国べったりの日本も無関係でない。香月は庭の椿(つばき)を「眺められるしあわせのしるし」とめでた。今の月星を眺めて何と言うだろう。

(2019年2月21日朝刊掲載)

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