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対馬丸の悲史たどる 広経大生聞き取り調査 那覇で27日報告

「広島で生きた人のこと伝える」

 太平洋戦争中に沖縄の学童疎開船「対馬丸」が撃沈された事件で、広島在住の関係者の聞き取りをした広島経済大(広島市安佐南区)の学生たちが27日、那覇市の対馬丸記念館で調査結果を報告する。岡本貞雄教授(66)のフィールドワークの一環で、広島と沖縄をつなぐ戦争の記憶の掘り起こしに挑んでいる。(明知隼二)

 岡本ゼミの3、4年生19人は昨夏、対馬丸で犠牲になった学童を悼む銘板が残る比治山陸軍墓地(南区)で、初の慰霊祭を開いた。その後、乗船対象だったが難を逃れ、現在は広島で暮らす女性3人に聞き取りをした。

 同級生15人を失った梅本テル子さん(83)=東区=は、父が直前に召集され、別便で先に鹿児島へ。後に生き残った教師を鹿児島で見かけたが、ぼうぜんとした様子で近寄りがたく、声を掛けられなかったという。「戦争を二度と起こさないために、何が起きたかを知って」と、託された。

 陸軍墓地に銘板が残った経緯も文献などで調査。対馬丸に護衛のため同乗した広島の暁部隊(陸軍船舶司令部)の船舶砲兵のうち、唯一戦後まで生き残り、兵庫県伊丹市に暮らした故吉田董夫(ただお)さんが関わった可能性が高いと結論づけた。

 3年の鷲頭史明さん(20)=呉市=は「戦争体験を理解するため、資料を調べながら聞き取りをした。沖縄への思いを胸に広島で生きた人たちのことを伝えたい」と話す。岡本教授は「こうして学んだ学生が、さらに次世代に戦争の記憶をつないでほしい」と願った。

 フィールドワーク「オキナワを歩く」は2007年に始めた。今回、岡本教授たちは27日から6日間の日程で現地入り。徒歩で戦跡や慰霊碑を巡り、戦場で看護に当たった元女子学徒たちの証言を聞く。訪問は13回目で広島大と広島市立大の学生たちも参加する。

対馬丸
 太平洋戦争中に沖縄の学童を九州に疎開させるため、1944年8月21日に那覇港を出港。翌22日夜、鹿児島県沖で米潜水艦に撃沈された。乗船者1788人のうち、判明しているだけでも学童784人を含む1482人が犠牲となった。広島に拠点を置いた暁部隊(陸軍船舶司令部)の船舶砲兵41人も護衛のため同乗し、21人が戦死した。

(2019年2月23日朝刊掲載)

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