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民意の行方 岩国も注目 06年に投票 「反対」後受け入れ

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡る24日の県民投票に、米軍岩国基地を抱える岩国市でも注目が集まっている。同市では2006年3月に実施した空母艦載機移転の賛否を問う住民投票で「反対」が9割近くを占めたが、国の強硬姿勢や市長交代を機に移転を受け入れた経緯がある。沖縄の民意の行方は―。関係者に複雑な思いが交錯する。

 「国のアメとムチでゆがめられたが、岩国の民意は変わっていないと思う。辺野古移設反対の民意が示されるよう願う」。岩国市の市民団体「住民投票の成果を活(い)かす岩国市民の会」の大川清代表(60)は力を込める。

 住民投票は合併前の06年2月、艦載機移転に反対を貫いた当時の井原勝介市長が発議。投開票は1カ月後。条例の規定で投票率が50%未満の場合は不成立となるため、大川さんは「住民投票を成功させる会」(当時)の世話人代表として懸命に投票を呼び掛けた。これに対し容認派はボイコット運動を展開した。

 建設資材販売業の松塚展門さん(68)は投票直前のシンポジウムにパネリストとして参加し棄権を宣言した。「国の専管事項に地元が反対できることは限界がある。経済的メリットも期待でき、投票で白黒つける必要はないと思った」と振り返る。

 結局、投票率は58・68%で成立要件をクリア。「移転ノー」は投票総数の87・42%、投票資格者の51・30%を占めた。しかし市庁舎建設の国補助金のカットなどに遭い、井原氏は任期途中で市長を辞職。出直し選で容認派が推した福田良彦氏に敗れた。

 市民団体「岩国の明るい未来を創(つく)る会」の原田俊一会長(86)は反対に投じた一人だ。しかしその後、容認の旗振り役となり福田氏を担ぎ上げた。「一国安全主義では今の国際社会は成り立たない。沖縄の負担の大きさは理解するが、危険な普天間飛行場はどこかに移さざるを得ない」と言葉を選ぶ。

 1月29日の記者会見で、福田市長は沖縄の県民投票について問われ「どちらでもない」を加え3択となった点に一定の理解を示した。一方、二者択一だった岩国の住民投票は「(民意を問う上で)十分だったか疑問が残る」と述べた。

 12日後、市内で講演した井原氏は「県民投票は大変いいことだ。反対の民意が示されても国が対米関係の方を重視すれば民主政治とはとても言えない」と強調。艦載機移転の経緯を巡っては「もう少し粘れば、もう少し柔軟にやれば状況は違ったのではないか。日々そんなことを思い返している」との思いを吐露した。(松本恭治)

(2019年2月24日朝刊掲載)

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