形見のかばん
19年2月25日
学校向かい 帰らぬ娘
被爆死した少女の形見となった布製かばん=2013年、原共子さんが原爆資料館に寄贈(撮影・山崎亮)
かわいらしい花の刺しゅうが目を引く。縦23センチ、横20センチの布製かばんの持ち主は原爆投下当時、中島国民学校(現中島小)5年生だった大久保睦子さんだ。
8月6日朝、「行ってまいります」と学校に向かったまま帰ってこない。裁縫が得意だった母、さかえさんの手作り。一人娘を思い続けた母が娘の形見として大切にしてきた。
さかえさんに育てられた大阪市の原共子さん(75)がその没後、「原爆の悲惨さを知ってほしい」と原爆資料館に託した。
平和大通りの緑地帯に1971年に建立された「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」。それに合わせて原爆で死亡した教員や児童らの名簿がまとめられた。睦子さんの名もある。追悼記集「流灯」に、母が思いを寄せていた。
「掌中の珠ともいつくしみ育てました私どものただ一人の子を、原爆の犠牲といたしまして二十六年がたちました今日、もう怒りも悲しみの涙も涸れはててしまいました」(増田咲子)
(2019年2月25日朝刊掲載)