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社説・コラム

『この人』 第五福竜丸事件を題材に記録映画を製作した米国人映画監督 キース・レイミンクさん

 1954年3月1日、米国による太平洋上での水爆実験で、静岡県のマグロ漁船第五福竜丸の乗組員23人が「死の灰」を浴びた。うち3人を2014年冬にインタビューした。「いつ死ぬかって毎日不安を抱えて生きるしかなかった」。そんな切実な言葉を引き出し、4年がかりで映画「西から昇った太陽」を完成させた。

 米国人が第五福竜丸事件を扱った長編記録映画は前例がない。「私は痛みをもたらした国の人間。取材した時は緊張した」と明かす。「でも悲惨な歴史にも向き合わないと、人間は過ちを繰り返しかねないから」

 ニューヨーク大で映画製作を学んだ。02年の卒業後、米中枢同時テロ後の不穏な空気を避けてアラスカへ。料理人となり、南極基地の食堂で職を見つけたのが転機となった。南極での日常を撮り始め、12年に初の記録映画を製作した。翌13年、自宅のある米東部ピッツバーグに映画会社を起こした。

 14年春に読んだ本で第五福竜丸事件を知った。「米国人があまり知らない広島、長崎以外の核被害の事実を伝えたかった。政治家を選ぶ時も、問題意識を持ってもらえるように」。証言映像にアニメを織り交ぜ、実験の瞬間や無線長久保山愛吉さん=当時(40)=の死、周囲の差別に苦しむ乗組員の姿も描いた。

 日本での初上映のため来日した2月25日、取材した一人で元操舵(そうだ)手の見崎進さんが静岡の病院で92歳で死去。映画は「遺言」となった。「せめて、映画を通じて彼の声が多くの人に届くよう願う」。広島の映画祭にも上映を申し込んだという。

 今回は良き理解者である妻、今作の音楽を担った弟と共に来日。2日、東京都内での上映会にも臨む。(田中美千子)

(2019年3月1日朝刊掲載)

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