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社説・コラム

『潮流』 無言の証人

■ヒロシマ平和メディアセンター長 吉原圭介

 原爆資料館の東館地下1階にある収蔵庫には、被爆者や遺族から寄贈された被爆関連資料が眠っている。その数約2万点。ここ数年も年に40~70点程度が寄せられている。担当者によると、服やゲートルなど被爆時に身に着けていた物が減り、写真などが増えているらしい。資料館に展示されているのは、ごく一部ということになる。

 その資料の写真を、月曜付の平和のページで随時掲載している。「無言の証人」というコーナーだ。ヒロシマ平和メディアセンターに着任した今月1日、その撮影に立ち会った。

 被爆した懐中時計や薬箱、帽子、茶道具…。1点ずつ丁寧に包まれた資料を収蔵庫から出し、撮影台にゆっくりと置く。緊張感が漂い、シャッターを切るカメラマンの声が自然と低く、小さくなった。

 心が揺さぶられたのは、ガーゼに包まれた直径1センチほどのガラス片を見た時だった。「平成24・9・9日 左肩下から出る」。そう手書きのメモが添えられていた。その前日に被爆者の男性が亡くなり、火葬後に出てきたという。

 平成24年9月というと、6年半前である。ことしは被爆から74年目。つまりそのガラス片は68年もの間、被爆者の体内に突き刺さったままだったことになる。資料を読むと、被爆後に診療所でガラス片50個近くを取ってもらったが、まだ残っていたらしい。

 小さくはない、体内に入った異物が痛くないわけはないだろう。痛みを感じるたびにその方は「あの日」を思い出したに違いない。生涯を終える日まで。

 1945年8月6日を遠い昔話にしてはならない。節目となる被爆75年に向け、資料館本館は来月、展示を全面的に変えてリニューアルオープンする。まだ眠っているものはないか。書き切れていないものは何か。そう自問している。

(2019年3月7日朝刊掲載)

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