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広島の西岡さん、国境なき医師団参加 紛争で荒廃 イラクで命救う

麻酔管理 折り鶴で励ましも

 「医療は国境を越えて、必要とされる。過酷な環境で生きる人の力になりたい」。麻酔科医になって35年、広島市安芸区の西岡憲吾さん(63)は、長年の夢だった国境なき医師団(MSF)に参加した。行き先は長引く紛争やテロで荒廃したイラク。そこには傷つきながらも前向きに生きようとする人々がいた。(栾暁雨)

 西岡さんが訪れたのは、チグリス川の悠久の流れと広大な小麦畑を望むイラク北部の町カイヤラ。昨年12月から6週間、MSFが運営する救急病院で活動した。町は過激派組織「イスラム国」(IS)が拠点としていた都市モスルに近く、ISの支配下にあった。破壊の跡が痛々しかった。イラク軍とISの戦闘で家を失った多くの人が難民キャンプで暮らす。

 高校時代に映画を見て、紛争地で働く医師に憧れた西岡さん。MSFの病院も、やはり忙しかった。周辺の100キロ圏内から24時間体制で患者を受け入れる。土日も手術が入るためほとんど休みはない。現地の医師とも連携し、手術中の麻酔管理と患者の体調管理を引き受けた。

 多かったのは、難民キャンプで、火や燃料の取り扱いを誤って起きるやけどの治療だった。子どもたちの手術にも立ち会った。

 今まで新聞やテレビでしか知らなかった「遠くの悲劇」が現実に迫った。紛争に巻き込まれて人生を悲観したのか、自殺する人も運ばれてきた。栄養不足が原因とみられる早産や未熟児の割合も高い。「弱い立場の人にしわ寄せが行く。心が痛みました」と振り返る。

 でも出会った人の多くは意外にも、明るくて人懐っこかった。「古里を奪われ、家族を亡くした悲しみは大きいはずなのに…」。どこからそんな力が湧くのか不思議だった。

 世界中から集まったスタッフと宿舎で生活をともにし、刺激を受けた。食事は居間に集まって一緒に食べる。専属の調理師が作るイラク料理はとてもおいしくて毎日楽しみだった。交代で母国の料理を作り、西岡さんはお好み焼きを振る舞った。「被爆地・広島」は有名で、持参した折り紙で鶴を折ってプレゼントすると喜ばれた。

 治安は改善し、爆弾や銃による負傷者は大幅に減っていた。カイヤラに近いクルド人自治区の中心都市アルビルは、活気にあふれていた。多彩な食材が並ぶ屋台に、輸入品を扱う大型スーパー、高層ビルの建設ラッシュ…。復興の息吹を感じ、立ち上がる人々の力強さに驚いた。

 中電病院(広島市中区)を退職したのを機に挑戦を決めたMSF。紛争の生々しい傷痕が残る地で、医師の使命は何か、あらためて考えさせられたという。「次の派遣先はどこなのか。また行きたいです」と西岡さん。出発が待ち遠しい。

(2019年3月17日朝刊掲載)

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