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広島・浄寶寺の前住職 諏訪了我さんを悼む 立場超えた「融和」説く

原爆孤児 信念の原点

 原爆で爆心近くの自坊が壊滅し、家族を失った経験を持つ浄土真宗本願寺派浄寶(じょうほう)寺(広島市中区大手町3丁目)の前住職、諏訪了我(りょうが)さんが11日、85歳で亡くなった。原爆孤児となった体験を原点に、平和への思いを最期まで燃やし続けた証言者、宗教者だった。(久行大輝)

 爆心地近くの旧中島本町(現在の平和記念公園)にあった浄寶寺は1945年8月6日、米軍の原爆投下で町とともに壊滅した。

 中島国民学校(現中島小)6年生だった諏訪さんは三次市三良坂町に集団疎開中だった。4歳上の姉は学徒動員先の工場で亡くなり、両親は行方不明に。12歳で孤児となった。9月半ば、親類に引き取られ、ようやく広島の地を踏む。中島本町はがれきの山になっていた。

 「疎開先で思い出したのは親を困らせたこと、よく姉とけんかしたことばかりで後悔した。戦争が終わったら親を喜ばすようなことをしようと思っていた」。その願いはかなわず、400年以上続く寺の再建が小さな肩に託された。

念珠持ち登校

 中学校に念珠と経本を持参し、帰りに門徒の家をお参りした。寺の跡地に紙と鉛筆を置き、訪れた門徒に住所を知らせてもらった。「門徒さんの支えがあってこそ生きてこられた」。現在地に換地が決まり53年、本堂を建てた。

 平和記念公園内で原爆死没者を悼む法要の導師を長年務め、幼い頃に見慣れた姿を残す被爆建物のレストハウス(旧大正屋呉服店)の保存運動、そして原爆が広島に何をもたらしたのかの証言を使命とした。

共命鳥の教え

 いつお会いしても優しいまなざしを絶やさなかった。しかし戦争や原爆の話になると強い意志を感じさせた。「いったん戦争が始まると年寄りも子どもも男も女も、みんなその渦の中に巻き込まれてしまう。そこに戦争の恐ろしさ、悲惨さ、やりきれなさがある」と力を込めた。

 昨年7月、本願寺派安芸教区が中区寺町の本願寺広島別院で開いた「全戦争死没者追悼法要」での法話で、「人間はなぜ戦争をするのか。みんな自分自身に問いかけ考えねばならない」と説いた。

 よりどころとしたのが、阿弥陀経の「共命(ぐみょう)鳥」の教え。一つの体に二つの頭を持つ鳥の姿を人間に重ね、「考え方、生き方は違っていても命はつながっている」と語り、立場を超えた融和の大切さを強調した。

 がんを患うなどして近年は体調が優れなかった。2012年に義円さん(46)を養子に迎え、16年に住職を託した。「気負わず、教えをもとに平和を説き続けてほしい」。そう語った穏やかな顔が忘れられない。

(2019年3月18日朝刊掲載)

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