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15歳の特年兵 激戦地へ 大竹で訓練 西崎さん自伝出版

極限状態 「人格を浸食」

 戦時中、14、15歳の若さで旧日本軍の「海軍特別年少兵(特年兵)」として訓練された少年がいた。その数は約1万8千人に上り、激戦地で5千人余りが命を落としたとされる。南方戦線などで死線をくぐりぬけた一人、西崎信夫さん(92)=東京都西東京市=が先頃、自伝「『雪風』に乗った少年」(藤原書店)を出版した。(田中美千子)

 西崎さんは15歳で特年兵の1期生となり大竹市にあった大竹海兵団に入った。16歳から駆逐艦「雪風」に乗り、魚雷などを受け持つ水雷科に配属されマリアナ沖海戦やレイテ沖海戦に送られた。戦艦大和が撃沈された沖縄水上特攻作戦に加わった時に後部機銃台の射手に配置換えとなった。

 「知らず知らずのうちにエゴ、残忍性に人格が浸食されていってしまう」。自伝は、卒寿を過ぎても忘れ得ない戦争の恐ろしさをつづる。巻末に「機銃台で開き直って恐怖を捨てたあの一瞬が今振り返って何よりも恐ろしい」「語り続けることが、戦争で戦い、生き残った私の使命」と記した。

 西崎さんは三重県の農家で生まれ育った。「家族を守りたい」。開戦5カ月前の1941年7月に創設された特年兵に志願し、合格した。将校への道も開けるため試験の倍率は高かったという。正式名は「海軍練習兵」。約1年間の訓練では理不尽な鉄拳制裁がまかり通り、自ら命を絶つ仲間もいた。

 戦後は繊維会社などで、家族を養うため身を粉にして働いた。退職後、70歳を過ぎて戦争体験を話し始めた。犠牲になった仲間の無念を伝えようと、人前で証言するようになった。

 書籍化を勧めたのは、東京都国立市の嘱託職員だった小川万海子さん(52)=東京都多摩市。戦争体験の継承事業を担当した時に西崎さんと知り合った。西崎さんの文章に加筆し、大竹市や呉市などを訪ねて書いたコラムなどを添えた。

 西崎さんは「命が紙くずのように扱われた戦争の愚かさを伝えたい。子どもたちを二度と戦場に送らないでほしい」と話している。四六判326ページ。2916円。

(2019年3月25日朝刊掲載)

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