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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 森本範雄さんー鋭い光 隣歩く友に直撃

森本範雄(もりもと・のりを)さん(90)=広島市西区

もっと伝えたい。両足切断 懸命にリハビリ

 約40年間、修学旅行生たちに被爆体験を語ってきた森本範雄さん(90)=広島市西区=は、1年5カ月もの間、活動休止を余儀(よぎ)なくされています。昨年1月、細菌(さいきん)感染(かんせん)により両足の膝から下を切断したためです。「もっと子どもたちに戦争の悲惨(ひさん)さを伝えたい」。募(つの)る思いが、義足を着けた懸命(けんめい)のリハビリを支えています。来月、証言活動を再開します。

 森本さんの両親は福島町(現西区)で履物(はきもの)問屋を営んでいました。教師を夢見た森本さんは、広島市商業学校(現市立広島商業高)に入学します。しかし戦時下で授業はほとんどありません。軍需(ぐんじゅ)工場での勤労奉仕(きんろうほうし)を強いられた後、1945年春に予定より1年早く卒業し、古田国民学校(現古田小)の臨時(りんじ)教員として働き始めました。16歳でした。

 8月6日朝は、持病の治療(ちりょう)のため仕事を休み、電車で千田町(現中区)の広島赤十字病院へ向かっていました。鷹野橋(たかのばし)の電停で降(お)りた直後、東京へ引(ひ)っ越したはずの同級生の大洲盛男(おおず・もりお)さんとばったり再会します。「空襲(くうしゅう)で焼け出され、東京から戻(もど)ってきたんだ」。近況(きんきょう)を聞きながら、大洲さんの自宅(じたく)がある大手町(現中区)方面へ歩いていた時でした。

 万代(よろずよ)橋の近くで突然(とつぜん)、「太陽より明るく黄色みを帯びた鋭(するど)い光」が真正面から飛び込(こ)んできたかと思うと、ものすごい爆音(ばくおん)が鳴り響(ひび)き、吹(ふ)き飛ばされました。気を失った森本さんが目覚めた時には辺りは真っ暗。爆心地(ばくしんち)から1・1キロの場所でした。

 手探(てさぐ)りで大洲さんと思われる人を見つけましたが、焼け焦(こ)げて既(すで)に息絶えていました。「もう一度敵が爆撃してくる。すぐに第2波が来るはずだ」。とっさにその場を離(はな)れた森本さんは、右往左往する人の群れに巻き込まれ、いつの間にか火の海に入り込んでしまいました。

 着ていた服は全てぼろぼろ。気付けば顔や腕(うで)の皮膚(ひふ)が焼けて溶(と)け、ぶら下がっていました。まぶたも焼けただれ、目を開くことができません。「負けてたまるか」。そう奮起(ふんき)し、逃(に)げ惑(まど)っていたところを、軍の救護トラックに積み込まれました。

 運ばれた先は、野戦病院となった陸軍船舶(せんぱく)練習部。現在、マツダの宇品(うじな)西工場(南区)がある所です。室内は「熱い」「痛(いた)い」とうめく人びとで埋(う)め尽(つ)くされ、ばたばたと死んでいきます。たまたま隣り合わせになり、看病(かんびょう)をしてくれた若(わか)い女性も、ある日倒(たお)れ、息を引き取りました。

 8月末、両親の故郷(こきょう)の奈良(なら)県鴨公(かもきみ)村(現橿原(かしはら)市)から伯父(おじ)さんが迎(むか)えに来てくれました。森本さんの顔や頭からはうみが出て、うじ虫がたかります。気遣(きづか)った伯父さんは奈良への道中、森本さんの頭に風呂敷(ふろしき)をかぶせ、決して鏡を見せようとしませんでした。

 原爆投下の瞬間(しゅんかん)まで隣(となり)にいた大洲さんの遺骨は見つからないままです。「あの時、焼け焦げた体を引きずってでも連れ出しておけば…。人間ではなく鬼だった」と森本さん。命拾いしたのは「あいつの体が熱線を遮(さえぎ)ってくれたから」と信じています。青春まっただ中で他界した亡(な)き友を悼(いた)むため、8月6日には合唱団に加わりモーツァルトとフォーレのレクイエムを歌ってきました。

 証言活動を休んでいる間も、世界で軍拡(ぐんかく)が進んでいることが気がかりでなりません。「このままではきっと悲惨なことが起こる。戦争に巻き込まれる人を生まない国になってほしい」。自分の言葉を子どもたちの心に刻むため、声を振り絞って訴え続ける覚悟です。(桑島美帆)

私たち10代の感想

世界中の紛争 直視する

 森本さんは、伯父さんから「鏡を見るな!」と怒鳴(どな)られたそうです。原爆で大やけどを負ったからです。同じ目に遭(あ)ったら、と想像するだけで怖(こわ)くなりました。「戦争だけはやるものではない」と訴(うった)えてきた森本さんの生き方から、伝えることの大切さを感じました。過去や、世界で起こっている紛争(ふんそう)から目を背(そむ)けず、積極的に学んでいきます。(高1風呂橋由里)

友を残した後悔 二度と

 「目と耳を押(お)さえて伏(ふ)せようとしたが、爆風で吹き飛ばされてしまった」。そう語る森本さんの言葉から原爆の威力(いりょく)が伝わってきました。隣にいた友人を残して逃げてしまった森本さんは、「なぜ見捨てたのか。後悔(こうかい)以上だ」と話していました。戦争に巻き込まれ、親しい人を亡(な)くす人が二度と出ないよう、戦争、原爆の悲惨さを訴えたいです。(高3川岸言統)

(2019年4月1日朝刊掲載)

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