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遺品 無言の証人

少女の遺髪

二つ結びのお下げ 目印

亀井冨子さんの遺髪=2004年、姉の芳子さんが原爆資料館に寄贈(撮影・山崎亮

 つやのうせた黒髪が、木箱に納められている。被爆から3日後、13歳で亡くなった亀井冨子さんの遺髪である。変わり果てた姿の冨子さんを家族が見つけ出す時の目印になったという。

 広島女子高等師範学校付属山中高等女学校(広島大付属福山中・高の前身)の2年だった。あの日も朝早く、宮島(現廿日市市)の自宅から広島市雑魚場町(現中区)の建物疎開作業現場へ向かった。足をけがしていたため姉芳子さん(90)=廿日市市=から引き留められたが、級長だから「やっぱり行く」と責任感をにじませていた。

 翌日、冨子さんを捜しに母と芳子さんは市内に入った。金輪島(現南区)で見つけ出した。やけどで顔が膨れ上がっていても分かったのは、山中高女の規則通りにお下げを二つ結んだ後ろ髪が目に入ったからだ。

 必死の看病も及ばなかった。大量の遺体が火葬されていく混乱の中でも、わが子を人間らしく弔いたかったのだろう。母は、冨子さんをほかの遺体とは別に焼くよう兵隊にお願いした。悲しみをくみとったのか、兵隊は冨子さんの遺髪も残してくれた。

 芳子さんが2004年、遺髪を原爆資料館へ寄贈した。一緒に託した冨子さんの日記は7月24日付に「今日はもう少し防空準備をきちんとして置けばよかった」と記す。13日後、防空準備など全く意味をなさないほどの熱線と爆風に、冨子さんはのまれたのだった。(山本祐司)

(2019年4月1日朝刊掲載)

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