[私の視点] 広島平和記念公園被爆遺構の保存を促進する会世話人代表 多賀俊介さん
19年4月3日
多賀俊介さん(69)=広島市西区
被爆遺構の継承 率先を
平和記念公園(広島市中区)の地下に眠る旧中島地区の被爆遺構は、米国が投下した原爆によって人間の暮らしが無残に奪われたことを如実に伝える。原爆資料館(同)のピースボランティアとして活動しながら、発掘調査を見守ってきた。「絶対に後世に伝えないといけない」との気持ちを強くしている。広島市長には、この事業を進めるリーダーシップを求めたい。
≪市は2015、16年度、資料館本館の耐震工事に伴い、敷地約2100平方メートルを対象に初の大規模な発掘調査を実施。被爆当時の町並みや、食器など当時の暮らしぶりを伝える生活用品が出土した。市は本館地下は埋め戻したが、公園内の別の場所で20年度内の展示公開を目指し、試掘調査を進めている。≫
保存、展示をするなら、良いものにしてほしい。そんな思いから17年に「促進する会」を発足させた。大切なのは、ここにどんな人が暮らし、どんな日常があったのかを伝えることだ。そのために、旧中島地区に暮らした人の話を聞く催しなども開いてきた。
公園を案内していると、国内外の観光客から「ここは元から公園だったんですか」と聞かれることがある。そうではない。庶民が無差別に犠牲になった。この場を歩くことで、体を通じて伝わるものがある。
70年前に施行された「広島平和記念都市建設法」は広島市長に対し、住民と協力して平和記念都市の完成に向けた「不断の活動」を義務付けている。紙屋町・八丁堀地区など市中心部の開発の大切さは分かるが、被爆遺構の意義についてももっと議論をしてほしい。
≪資料館の17年度の外国人入館者数は39万2667人で、5年連続で最多を更新。さらに、ことし11月下旬にはローマ法王フランシスコの訪問が予定され、20年には東京五輪・パラリンピックに合わせた多くの外国人観光客の来訪が見込まれる。世界から被爆地への注目はさらに高まる。≫
以前から在韓被爆者の支援に携わり、旧陸軍被服支廠(ししょう)などの戦争遺跡をたどるフィールドワークも開催してきた。被爆地広島が「迎える平和」を掲げるならば、かつて軍都であったことや、アジアへの加害の視点は欠かせない。それはピースボランティアの活動の中でも感じてきたことだ。被爆地トップの広島市長は、その認識を問われる立場でもある。(聞き手は明知隼二)
(2019年4月3日朝刊掲載)