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社説・コラム

[ずばり聞かせて] 浅野氏能道具の収蔵庫 意義は 饒津神社 浅野史政権禰宜

広島の歴史 守り伝える

 旧広島藩主の浅野氏ゆかりの饒津(にぎつ)神社(広島市東区)は、所有する浅野氏伝来の能道具を収める収蔵庫の建造を境内で進めている。浅野氏の広島城入りから400年の節目の年に、被爆を経て戦後長らく市外で保管されてきた貴重な文化財を、市中心部で守り伝えるめどが立った。浅野史政権禰宜(ごんねぎ)(47)に思いを聞いた。(城戸良彰)

  ―収蔵する約120点のうち32点は昨年、市重要文化財に指定されました。どんな価値がありますか。
 色鮮やかな能装束や端正な女性の能面など、美術的に優れた品々ばかり。江戸時代の武家文化の一端がうかがえるとともに、42万石余りを治めた大名浅野氏の風格も感じさせる。

 一方、近くで目を凝らすと被爆の傷痕も見える。特に能面には焼け焦げがケロイドを思わせ、痛々しいものもある。戦争のむごさを伝える意味でも広島の歴史の「生き証人」と言える。

  ―境内での収蔵には特別な思いがありますか。
 1924年に浅野家から能道具を譲り受けたが、戦前は同家の別邸だった縮景園(中区)で保管されていた。原爆で縮景園も饒津神社も焼け落ちたので、戦後は厳島神社(廿日市市)に奉納した。2010年に返還が決まり、一時的に県外の美術館に預かってもらっている。そのため、境内での保管は初めてになる。

 うちは浅野氏を祭っているが被爆の影響でゆかりの品がとても少なく、じくじたる思いがあった。今年3月には市立大(安佐南区)に依頼し、原爆で焼失した初代長晟(ながあきら)公の肖像画を復元してもらった。収蔵庫の建造も江戸時代の広島の歴史を伝えていく一環であり、地元企業をはじめ多くの方の寄付をいただいて実現したことは感慨深い。

  ―今年は浅野氏の広島入城から400年です。収蔵庫をどう生かしますか。
 学芸員を置くわけではないので、普段公開するのは難しい。ただ、市重文として市民の財産でもあり、美術館の展示会などで求めがあれば積極的に出していきたい。

  ―今後、能道具以外も収める予定はありますか。
 原爆の被害があったとはいえ、江戸時代の文化財はまだどこかに眠っているのでは。だが文化財の所有者が高齢化し、引き受け手のないまま散逸する恐れもある。収蔵庫はそれらの引き取り先として、一つの選択肢になれるかもしれない。

 収蔵庫は、鉄筋2階建て延べ110平方メートル。収蔵能力の限界や管理態勢など考えるべきことも多く、今秋の完成後に可能性を検討したい。

 ≪略歴≫国学院大卒。1994年、会社勤めの傍ら現職に就任し、父の和同(かずとも)宮司を支える。2012年から専業。広島市東区出身。

(2019年4月17日朝刊掲載)

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