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社説・コラム

『潮流』 イサム・ノグチと「国境」

■ヒロシマ平和メディアセンター長 吉原圭介

 広島市の平和記念公園南側の東西にある平和大橋、西平和大橋の欄干は、世界的彫刻家のイサム・ノグチによる設計として知られている。父親は日本人の詩人で、母親は米国人の作家。先月下旬、平和大橋の北側に歩道橋が開通した。

 これまでの狭い歩道は、人と自転車の擦れ違いが危うかったが、歩道橋は幅が約5・7メートルに広がり、安心して渡れるようになった。

 平和記念公園内にある原爆慰霊碑は、原爆資料館を含む公園全体の設計者でもある丹下健三が手掛けた。だがこの慰霊碑はもともとイサム・ノグチが設計していたことはあまり知られていない。

 丹下から慰霊碑設計を持ちかけられ、デザインは広島平和記念都市建設専門委員会に諮られたが、否決された。原爆を投下した米国人だからというのが理由だったという。

 1952年4月8日の中国新聞には「誇り傷つけられたイサム・野口」「慰霊碑設計を葬らる」の見出しで記事が掲載されている。

 「私は一生懸命に設計したが、これがダメになって残念だ。もし不適当なら希望をいれ設計をやり直してもいいとさえ思ったのに外国人であるからどうのといわれるのは全く不思議」というコメントもある。

 日米欧で活躍したノグチ。親交のあった人によると「国境がこの世で一番ろくなもんじゃないね。世界は一つなのに」と口癖のように言っていたという。

 現在は西平和大橋で欄干の「復元」作業が進んでいる。83年に表面保護のため自然石風の塗装が吹き付けられたが、52年完成時のコンクリートの滑らかな質感に戻す。5月3日のひろしまフラワーフェスティバル(FF)開幕までには終えるという。平和を願う花の祭典の際、ぜひご覧いただき、触れてほしい。そして「国境」についても思いをはせてほしい。

(2019年4月18日朝刊掲載)

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