×

ニュース

頼山陽文徳殿 改修訴え 愛好家ら劣化状況を確認 「平和の丘」構想 着工延期

 広島市南区の比治山公園内に、広島ゆかりの江戸時代の儒学者、頼山陽(1780~1832年)を顕彰する「頼山陽文徳殿(ぶんとくでん)」がある。戦前に建てられ原爆の爆風を耐え抜いた被爆建物だが、老朽化が進み、活用されなくなって久しい。山陽の愛好家たちは早期の改修を訴えている。

 今月上旬、山陽の顕彰団体や研究者らでつくる「頼山陽ネットワーク」が見学会を実施した。市の担当者らの案内で、会員約50人が内部を見学。天井の一部が破損するなど、劣化が進む現状を確認した。

 文徳殿は戦前に勤皇家として山陽が国家的に顕彰されたことを背景に、1934年、市が建てた。鉄筋平屋約140平方メートルで、外観は西洋風の重厚な造り。内部は畳敷きの廟堂(びょうどう)で、山陽の座像が安置されている。戦前にどう利用されていたか詳しくは分かっていない。

 原爆の爆心地から約1・8キロにあり、爆風で屋根飾りが変形したものの焼失は免れた。戦後は一時、市の役場などとして利用されたほか、85年ごろまで地元の書道教室に使われたとされる。現在は普段、非公開となっている。

 市は「平和の丘」構想を掲げ、同公園の再整備を進めている。文徳殿は被爆の実態を伝える見学会の会場として使えるよう、第1期(2017~18年度)に改修を予定していた。だが、建築当時の図面がなく耐震診断が遅れたため、着工を延期している。2月に実施した診断を受けて、着工時期などを検討するという。

 同ネットワーク事務局を務める作家、見延典子さん(63)=佐伯区=は「被爆の側面だけでなく、戦前の社会と山陽の関わり、昭和建築としての文化的意義にも光が当たってほしい」と希望する。その上で、山陽の実像を伝えていくため改修を急ぐべきだと強調した。(城戸良彰)

(2019年4月19日朝刊掲載)

年別アーカイブ