×

ニュース

震災2年 島根への避難者累計110世帯264人

島根県内 53世帯129人なお残る

 東日本大震災から11日で丸2年。福島第1原発事故などを受け、被災11都県から県内への避難者は8日までに累計で110世帯264人に上り、その約半数が今なお県内にとどまっていることが、受け入れ実績のある13市町の調べで分かった。(樋口浩二)

 転出した避難者は57世帯135人(51・1%)。一方で、残留する放射性物質など生活への不安から53世帯129人(48・9%)が現在も県内で暮らしており、震災の爪痕の大きさを物語る。

 県と市町の支援を受けながら、住まいや職を定めた避難者。この2年で県と松江市の就業支援メニューを通じて延べ32人が農業や漁業、役場の臨時職員などに就いた。

 だが、避難者の故郷への思いは根強い。相談窓口の県地域政策課は「避難生活が長期化し帰りたいという人が増えている」とする一方「食品や土壌の放射性物質汚染、地震のリスクが帰郷を踏みとどまらせている」とみる。

 現状を踏まえ、県は被災者向けの県営・民間住宅の無償提供を1年間延長し2013年度も実施する。市・町営や県などが民間から借り上げた住宅も含め、無料住宅に35世帯89人が暮らしている。他の避難者は親類宅などに身を寄せている。

<県への避難者>(13市町調べ、8日現在)

                                総数          現在
避難者                         110世帯264人    53世帯129人
無料の公営住宅・民間賃貸住宅への入居者  75世帯184人     35世帯 89人

<8日現在の県内の避難者受け入れ数>

松江市     29世帯 82人
大田市      4世帯 11人
出雲市      4世帯  9人
益田市      3世帯  6人
津和野町     2世帯  5人
浜田市      2世帯  4人
江津市      2世帯  4人
安来市      3世帯  3人
隠岐の島町   2世帯  2人
吉賀町      1世帯  2人
邑南町      1世帯  1人
計        53世帯129人

震災2年 島根移住者2人の今

 「島根に根を張る」「いつかは福島へ」。県内に避難した被災者の心は揺れる。揺れながらも、前を向き、県民と関わりながら毎日を着実に歩む。福島県からの避難した2人の今をみた。(樋口浩二)

青山正幸さん(40)=出雲市大津町

夢の農業始め 定住決意

 「人間、食ってかないけんから」。ビニールハウス内で作業しながら笑顔を見せた。

 福島第1原発の南34キロのいわき市で被災。放射線を逃れ東京に避難した後の2011年8月、出雲市に入った。きっかけは東京のハローワークで見つけた県のU・Iターン者向け支援事業の「産業体験」。就業分野の一つ「農業」の2文字が目に留まった。

 営業担当や運転手など、20年間勤めていた。「いつか農業をやりたい」。夢に向け親類も知人もいない島根での生活を決意した。

 「実際、不安だらけ」の毎日。でも「周囲の温かさに励まされた」。いわき市でよく食べたカツオ。好物と知った近所の人が自宅に届けてくれた。

 産業体験ではハウスの組み立て方など野菜栽培を基礎から学んだ。その後、ハウス3棟を完成させた。「下手だから補修が大変。土日も休めない」。でも「野菜は手を掛ければその分いいものができる」。農業の魅力にひかれ始めている。

 忘れられない出来事がある。11年4月、東京の避難所。千葉県の農家がミニトマトを差し入れてくれた。「ろくなもん食べてなかったから、うまくて」。もし災害が起きたら「困った人に野菜を届ける」と決めている。

猪苅美和さん(46)=松江市山代町

体験伝え 募る望郷の念

 「被災したからこそ、人の痛みを拾えるかなって。そう思えるようになった」。最近「やっと笑顔が増えた」と感じている。

 福島第1原発の北21キロ、南相馬市から2011年3月18日、松江市に避難。中学3年の長女桜子さん(15)小学5年の次女伽那さん(11)と3人で、県が無料で貸し出すアパートに暮らす。20歳まで住んだ故郷でもある。

 「喪失感」。震災後の2年間をこう表現する。趣味の料理に没頭しようとしても「気力が続かない」。仕事で南相馬市に戻った夫の憲應(のりお)さん(54)も含め家族は無事。家屋も壊れず原発30キロ圏のため東京電力の補償金を受け取った。でも「近くの集落は全滅。なのに、一見困っていない自分を責めた」。被災地とつながれないようで孤独だった。

 転機は13年2月。「伝えることが責任」。松江市の講演会で、江津市に避難した女性の言葉が頭から離れなかった。「松江にも島根原発がある。私の体験を話せば、その危うさと事故に備える大切さがわかってもらえる」。そう思った。

 今、悩み電話相談員の養成講座に通う。「いつかは家族で福島に暮らしたい。悩む人に寄り添いたい」。同時に「被災体験を伝え続ける」と誓う。

(2013年3月11日朝刊掲載)

年別アーカイブ