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震災2年、福島で暮らす日はいつ 広島に避難の井上さん 放射線に鈍る決意

 家族離れ離れの暮らしは2年になる。井上真理恵さん(38)は福島第1原発事故の直後に避難。今は広島市西区で子ども4人と暮らす。夫は福島県郡山市の自宅に残っている。「家族一緒にいたいが、子どもの体を思うとまだ帰れない」。悲劇が始まったあの日が近づくほど、心は揺れる。(教蓮孝匡、桑田勇樹)

 10日、西区であったソフトボール大会。己斐東小3年の長男泰一君(9)が白球を追う。真理恵さんは1~5歳の子ども3人と声援を送った。

 はつらつプレーを見ると余計、郡山市に帰る決意は鈍る。「避難生活が長引けば、それだけ寂しい思いをさせてしまうのも分かっているのですが」。真理恵さんはそう戸惑う。

 郡山市の自宅は原発から約50キロにある。周辺の放射線量は毎時0・5~0・7マイクロシーベルト。広島市のほぼ10倍だ。除染は進むが、汚染土壌を置いたままの学校や公園も多い。

 地元の金融機関に勤める夫泰正さん(39)も「家族に帰ってきてほしいと思うが、『安心して戻れ』とは簡単には言えない」と悩む。

 事故当時、身重の真理恵さんは自宅の窓を閉め切り、1週間過ごした。「当面、郡山を離れよう」。泰正さんの実家がある西区に逃れた。いまは区内の市営住宅で暮らす。

 広島で生まれた末娘は「和香」と名づけた。「子どもを安心して育てられる平和な社会に」。夫妻の切実な願いを込めた。和香ちゃんは近ごろ、泰正さんを「パパ」と呼べるまでに成長した。一日も早い家族再建へ向け夫妻の焦りは募る。

 泰正さんは、かつて古里の広島で受けた平和教育を振り返ってこう誓う。「私の力では放射線をなくすことはできない。でも、子どもと暮らせる日が戻ってきたら、広島の人が核被害とどう向き合ってきたかを話してやりたい」

(2013年3月11日朝刊掲載)

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