×

社説・コラム

社説 原爆資料館 展示一新 伝える役割さらに重く

 広島市の原爆資料館が、きょうリニューアルオープンする。2年前の東館に続いて本館の改装が終わり、25年ぶりに展示が一新された。原爆の悲惨さを伝え続ける中心施設になる。被爆者の話を直接聞く機会が減る中で、その役割はさらに重みを増すことになろう。

絶えず問い直せ

 本館は、遺品などの実物資料をより重視した展示に模様替えされた。来館者に一つ一つをじっくりと見てもらい、感性に訴える狙いがあるという。訪れた人の胸に、核なき世界を願う気持ちがこみ上げる展示になっているか。今後も絶えず問い続け、見直す姿勢が求められる。

 有識者による展示検討会議の9年に及ぶ議論がベースになった。本館は、原爆の実態をより被爆者の視線で伝えるコンセプトだという。

 被爆直後のむごたらしい写真を被爆者が描いた絵と交互に並べる展示が象徴的だろう。その光景を見つめた被爆者の心情がいっそう際立つようにも思える。遺品に持ち主や家族の写真、短いエピソードを添えて紹介する一角も、きのこ雲の下にいた一人一人に思いを巡らせるきっかけになるかもしれない。

 全般的には説明を最小限に抑えたという。来館者がじっくり遺品などと向き合うことで、原爆の悲惨さを自ら考えてもらう意図があるようだ。

 見る側に委ねている部分が大きい。

 例えば、来館者が本館に入って初めて対面する遺品は大型のガラスケースに入った動員学徒の衣服や持ち物である。そのケースを被爆した鉄骨や墓石などが囲む。あの日に居合わせたような感覚を持ってほしいという。だが、コースの序盤であり、その意図がどこまで届くだろうか。来館者の感じ方をつぶさに検証していきたい。

祈念館と連携を

 説明を減らした分、もっと被爆者の思いに触れたいと考える来館者もいるに違いない。近くには、被爆者の手記や証言映像を収集する国立原爆死没者追悼平和祈念館がある。さらに連携を深め、それぞれの役割を明確に知らせていくことも重要だ。

 今回から外国人被爆者の資料が常設展示になった。朝鮮半島出身者や東南アジアからの留学生の被爆を伝える展示は、原爆が日本人に限らず、罪のない市民の上に落ちたことを示すためでもある。

 昨年度の来館者152万人の約3割を外国人が占め、割合は年々高まっている。目立つのは欧米人だ。中国などでは、被爆地の訴えを「日本が戦争被害を強調している」と見る向きがある。アジアの人々の来館が少ない要因にもなっていよう。誤解を解き、海外の来館者の幅を広げなければならない。

 世界の目に耐え得る展示になっているか。私たち市民も資料館をあらためて訪れて、考えてみたい。

 原爆投下から74年となり、被爆体験を直接聞く機会は少なくなった。被爆建物が減り、痕跡をたどるのも難しい。

あらゆる核否定

 新たな展示では、被爆後の困窮した生活や消えない悲しみにも焦点が当たっている。今を生きる私たちには、まちの記憶を知り、受け継ぐ使命もある。資料館は、市民にも重要な学びの場所になっていくだろう。

 資料館は、開館翌年の1956年に「原子力平和利用博覧会」の会場になったことがある。原爆が悲惨だったからこそ、原子力を「平和」に生かそうという考えが被爆地にも芽生えた。時流に従ったことへの反省に立つなら、あらゆる核に対して毅然(きぜん)とした態度を示していかなければならない。それが核兵器のない世界への道筋を確かなものにもする。

 今回の改装で、長く展示されてきた被爆再現人形が撤去された。原爆が人間にもたらしたものをどう伝えるか。今回は実物資料を重視する方針が貫かれたが、絶対的な正解があるわけではない。有識者の展示検討会議が提言したように外部機関を設け、展示の在り方を冷静に議論し続けるべきだ。

(2019年4月25日朝刊掲載)

年別アーカイブ