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原爆・平和観「お言葉」に込め 代替わり前に「天皇とヒロシマ」 核なき世界希求 次代へ

 30日に退位する、天皇陛下は原爆を巡る思いを幾度も表してこられた。「平(たひ)らけき世に病みゐるを訪れてひたすら思ふ放射能のわざ」。平成元年の1989年に広島市を訪れて詠まれた「お歌」だ。5月1日の新天皇即位により「令和」が始まる。私たちがあらためて考えるべきことを、お二人の会見録を基に探る。(西本雅実)

 天皇の培われた「原爆・平和観」は、即位10年に際した99年11月の宮内記者会との会見からもみてとれる。「その強烈な破壊力と長く続く放射能の影響の恐ろしさを世界の人々にもしっかりと理解してもらう」大切さを唱え、それが「世界の平和を目指す意味においても極めて重要なことと思います」と述べた。

 広島県への訪問は、宮内庁によると皇太子時代を含め計11回。初の被爆地入りは49年にさかのぼる。

 「あの惨劇に二度と人類をおとし入れぬよう、私たちはかたい決意をもつて平和に向(むか)わなければなりません」。広島児童文化会館で迎えた小中高校生に呼び掛け誓った。自らは学童疎開を体験し、戻った東京は焦土であった。

 結婚の翌60年は、県・市共催の平和記念式典に参列。68年は美智子さまと現広島赤十字・原爆病院で被爆患者を見舞った。

四つの日黙とう

 そこから81年8月の会見で、「記憶しなければならない」四つの日を挙げ黙とうをささげていることを明かした。終戦の日、広島、長崎の原爆の日、沖縄戦終結の日である。

 天皇、皇后が取り組んだ「慰霊の旅」は、95年夏に両被爆地から始まり、2015年には太平洋戦争の激戦地パラオでも追悼した。

 同じく戦後70年、皇太子さまは誕生日(2月23日)に先立つ会見で自らの考えを率直に述べている。

 「戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに…悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」。幼い頃から四つの日に黙とうをしてきたという。

 初めて原爆慰霊碑に臨んだのは81年7月、瀬戸内の中世史を研究する大学卒業論文の資料収集から。原爆資料館は96年10月、全国身体障害者スポーツ大会出席で雅子さまと見学した。しかし、宮内庁が04年に「適応障害」と公表した妃殿下の体調から、06年10月の慰霊碑献花は単独となった。

「ご一家の意思」

 資料館長で説明に当たり今は自らの被爆体験を証言する、原田浩さん(79)は、夫妻の長女愛子さまの作文が中学卒業の17年公表されたことに「ご一家の意思を感じる」という。

 広島修学旅行からの作文は、被爆資料を見た衝撃や折り鶴に託した思いをつづり、「そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し」と願う。

 「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ…」。戦後70年の全国戦没者追悼式で天皇は、「今日の平和と繁栄」に至るゆえんや、「さきの大戦に対する深い反省」を「お言葉」で示した。85歳の誕生日(2018年12月23日)を前にした会見では、平成を「戦争のない時代」と表した。

 被爆者は平成が始まった89年は、全国で35万6千人余が健在だった。それが15万4千人余となり平均年齢は82歳を超す。被爆地ヒロシマでも原爆を巡る記憶や関心が薄らぐ。

 「令和」という新たな雰囲気にわいても、私たちは「核時代」にある。「戦争のない時代」を続け「核のない世界」に押し広げるのは一人一人の意思からだ。

(2019年4月29日朝刊掲載)

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