×

ニュース

[令和へ] 「平成流」両陛下に感謝 被災地や被爆地で対話 中国地方

 30日に退位する天皇陛下は、皇后さまと共に自然災害の被災地や戦争の傷痕を残す地へ幾度も足を運び、苦境に立つ人々に寄り添われてきた。退位を機に、両陛下と接した中国地方の人々から感謝の言葉が相次ぐ。その人々の思いは、陛下が追い求めた「平成流」の象徴天皇像を浮かび上がらせる。(石川昌義、浜村満大、佐藤憲佑)

 「皇后さまは、車いすの私の手を取り『大変でしたね』とおっしゃった」。宮本孝子さん(79)=広島市安佐北区=は両陛下と面会した5年前を振り返る。

 2014年8月の広島土砂災害で左足と夫を失った。面会は被災から4カ月後。「それまではショックで何の感情も湧かなかったのに不思議と涙が出た。リハビリの励みになった」

 18年7月の西日本豪雨で甚大な被害が出た呉市を両陛下が訪ねられたのは発生の2カ月後。仮設住宅で暮らす被災者や警察、消防関係者と懇談した。市消防団呉北地区隊の高橋敏秀隊長(67)は「復興へ頑張らないといけないと身が引き締まった」と話す。

目線合わせる

 両陛下は被爆地・広島にも深い思いを寄せられた。即位後初めて訪れたのは1989年9月。広島県安浦町(現呉市)での「全国豊かな海づくり大会」に出席する前日、原爆慰霊碑(中区)に花を手向け、広島赤十字・原爆病院(同)を訪問。その後の広島訪問で市内4カ所の原爆養護ホームを訪ね、被爆者をいたわった。

 広島土砂災害の被災地を視察した翌日には、安芸区の原爆養護ホーム「矢野おりづる園」で入所者10人と言葉を交わされた。「前かがみになり、いすに座った入所者と目線を合わせられるお二人の姿が印象的だった」と当時の事務長、村田伸夫さん(69)は回想する。

 入所者の平均年齢は90歳に迫り、当時面会した人のうち7人が亡くなった。村田さんは「両陛下とも戦時中の記憶が鮮明な世代。被爆者への思いは特別だったのでは」と推し量る。

時代変わった

 対話を重視する「平成流」は皇太子時代にさかのぼる。ご結婚から4年後の1963年、夫妻で山口県を訪問された際、小郡町(現山口市)で「農村青年のつどい」に出席。同世代の男女23人と懇談した。

 そのうちの一人、船方農場グループ理事長の坂本多旦(かずあき)さん(78)=山口市=は「農村の結婚難について熱心に尋ねられた。農業の未来を本気で考えてくださった」と言う。

 当時、「握手できるだろうか」と若者同士で話していると、「失礼だ」と年長者にたしなめられた。坂本さんは「両陛下が全国を回り、国民と言葉を交わされる姿が普通になった。時代は変わった」と実感する。

(2019年4月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ