原発依存を自問 自給生活で新境地 福島から呉に移住の家族
13年3月15日
大震災2年 福島から呉に移住の井海さん
原発依存を自問
東京電力福島第1原発で爆発が起き12日で2年になった。福島県田村市を離れ、呉市安浦町に移り住んだ井海幹太さん(42)は「原発に依存していた自分たちの責任も考えた」とあの日とその後の生活を振り返る。同町でも福島にいた頃と同様に畑を耕して暮らしている。できるだけ原発に頼りたくないと、エネルギー自給も目指している。(小林可奈)
同町の山麓に約2500平方メートルの畑が広がる。少しずつ耕し、オリーブやかんきつなど果樹33本を植えた。今はエンドウやカラシナがすくすくと育つ。家族は妻緑さん(36)、長男麦君(7)、次男作ちゃん(3)と、同町で生まれた7カ月の長女蕗(ふき)ちゃんの5人だ。
1号機が爆発したあの日、車に家族全員が乗り、実家のある静岡市を目指した。2006年に暮らし始めた田村市の自宅は原発から約30キロ。放射性物質への恐怖から、大切な畑も捨てた。やっと手に入れた土地だった。
しばらくは知人を頼るなどして兵庫、和歌山県などを転々とし、原発事故から半年たった11年9月に安浦町に落ち着いた。知人などに紹介してもらい、広い土地を見つけることができたのだ。
事故を起こした原発と生活について考えた。家電製品だけではない。衣服、布団や窓ガラス。身の回りにあるほとんどのものは製造過程で電気を使っている。
脱原発、卒原発、依存度低減と、事故後にさまざまな言葉が飛び交ったが、「可能な限り自給する」ことが自分が進むべき道だと思っている。「自分の生活は自分で責任を持ちたいから」と語る。
「さらに開墾を進めて、年内には田んぼもこしらえたい」と井海さん。近いうち太陽光パネルも据え付けたいという。
地域の祭りや農道整備などにも積極的に加わり、住民との交流も深まってきた。ここで頑張っていきたいと、定住の意志を固めた。
(2013年3月12日朝刊掲載)