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「語り部」で原発事故被災を継承 全村避難の飯舘村有志

 東京電力福島第1原発事故で全村避難となった、福島県飯舘村の住民団体役員佐藤健太さん(31)=福島市=が、被災体験を伝える「語り部」を派遣する団体の設立を目指している。原発事故と震災への関心が薄れる中、広島の被爆者との交流で学んだ体験継承のノウハウを地元で生かす。

 計画では、団体は4月以降、NPO法人か社団法人として設立する。秋までには被災者を国内外へ派遣する活動を開始。核被害の恐怖、長期化する避難生活の苦労、復興などについて話す。佐藤さんは知人を誘い、既に7、8人から参加の約束を得ている。

 佐藤さんは、村民有志でつくる団体「負げねど飯舘!!」の常任理事を務める。将来、健康被害が出た場合などに備え、被災者が事故後の行動を自ら記録する運動を呼び掛け、2011年秋から専用の手帳を配ってきた。

 手帳の作成では、広島県被団協(金子一士理事長)から助言を受けた。例えば、行動記録の信頼性を高めるため、被災者の行動を知る「証人」を書き込む欄も設けた。佐藤さんは「被爆に向き合い続けてきた広島に学ぶ点は多い」と振り返る。

 ただ、被災から日がたつにつれ、佐藤さんの仲間は就職活動や生活再建に追われ、活動まで手があまり回らなくなった。連日相次いだ講演や取材の依頼もいまは、月1、2回に減った。

 「風化は進むのに、除染は進まず、村にいつ帰れるか分からない。事故の悲惨さを語り継がなくては」。佐藤さんは、広島をモデルに、被災体験を発信する決意を固めた。県被団協の大越和郎事務局長(72)は「放射線との闘いは長く続く。できる限り協力を続ける」と誓う。(桑田勇樹)

飯舘村の全村避難
 福島第1原発の北西約40キロの飯舘村は2011年4月、全域が計画的避難区域に指定された。年間放射線量に応じ12年7月、日中の滞在や事業の再開ができる「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」と、原則立ち入り禁止の「帰還困難区域」に再編された。ことし3月1日現在、村民6086人が福島県内で避難生活を送り、500人が県外で暮らす。うち8人が広島県内で生活する。特別養護老人ホームの入所者をはじめ89人が村内にとどまっている。

(2013年3月12日朝刊掲載)

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