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被爆前 金座街のにぎわい 1920~30年代の写真 川野さん保管

胡子大祭 亡き父母の姿も

 広島市中心部の広島金座街商店街が誕生し、ことしで90年になる。ここで生まれ育った川野哲生さん(84)=中区=は、1920~30年代に父が撮影した商店街と周辺の写真を保管している。原爆で壊滅する前の町並みと市民のにぎわいを捉えており、貴重な資料だと専門家は評価する。(桑島美帆)

 金座街は「東京の銀座よりも立派な街に」という思いを込め、29年に命名された。戦前、川野さん一家は自宅1階で「川野夜具店」を経営。父・弥三郎さんの趣味が写真だったことから暗室もあり、家族や商店街の光景を撮りためた。

 洋服店や時計店、かまぼこ店がひしめき、屋根の上の物干し場で遊ぶ子どもたちの歓声があふれていた。11月の胡子大祭の時に布団や枕を積み上げて特価販売する川野夜具店や、やぐらが設置され「牛馬 諸車 通行止 東警察署」の標識が見える商店街付近の道路、皇太子(現上皇さま)の誕生を祝う34年2月のパレードが活写されている。

 だが太平洋戦争中、空襲に備えて防火帯を造る「建物疎開」のため金座街の西側の建物は撤去され、45年8月6日、爆心地から700メートル圏内の商店街は壊滅。現在の北広島町に疎開していた10歳の川野さんも両親を失った。弥三郎さん(当時49歳)の遺骨は見つからず、母・松代さん(同45歳)は台所付近であおむけの状態で骨になっていた。

 アルバムやフィルムは布団用の生地などと一緒に、空襲を避けるため広島市郊外の親戚宅に置いていた。戦後に復員し、金座街の復興に尽力した川野さんの兄の雅之さん(86年に65歳で死去)が写真を保管し、後に川野さんが譲り受けた。

 元広島市公文書館長の中川利国さん(62)は「被爆前の胡子大祭の写真は初めて見た。商店街のいろんな場所から撮影され、非常に貴重」とみる。川野さんは「金座街は近所同士で仲が良く本当ににぎやかだった。人間を不幸にする戦争は絶対にあってはならない」と力を込める。

(2019年5月20日朝刊掲載)

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