『記者縦横』 韓国被爆者支援 深い絆
19年5月24日
■ヒロシマ平和メディアセンター 桑島美帆
「歓迎」の横断幕が掲げられた会場は、温かい空気に包まれていた。先月、広島の市民グループとともに韓国・大邱(テグ)市を訪れ、現地の被爆者団体との交流会を取材した。この日、両者が「核兵器廃絶と平和な世界の実現をめざす大邱と広島の会」を結成したのだ。
被爆者の豊永恵三郎さん(83)や代表の中谷悦子さん(69)をはじめ、広島からの一行は14人。韓国語を交えて自己紹介した後、望郷の歌を合唱した。「原爆被害者の痛みは日韓で同じ。政治は関係ない」。大邱で暮らす韓坂介(ハン・パンゲ)さん(82)は繰り返した。
痛みは同じ―。しかし日本の植民地時代に被爆した韓国の人たちは、長く日本の被爆者援護の枠外に置かれた。大半は韓国に戻っても生活基盤がなく、放射線障害に苦しみ、貧しい暮らしを強いられた。「食べ物がないけえ、本当に苦労した」。広島で被爆した金日祚(キム・イルチョ)さん(90)が広島弁で振り返った。
この間、被爆者健康手帳の取得や渡日治療、援護の格差是正を求める在韓被爆者の苦闘を半世紀近く支えてきたのが豊永さんたちだ。日韓関係が冷え込んでも、絆が途絶えることはなかった。交流会の雰囲気から、両者の厚い信頼関係が伝わってきた。
ただ、当事者たちも高齢化している。新たな会の結成には「今のうちに若い人に後を継いでほしい」という思いがある。これを機に日韓の被爆者と若い世代の交流の場が広がってほしい。時間は限られている。
(2019年5月24日朝刊掲載)
「歓迎」の横断幕が掲げられた会場は、温かい空気に包まれていた。先月、広島の市民グループとともに韓国・大邱(テグ)市を訪れ、現地の被爆者団体との交流会を取材した。この日、両者が「核兵器廃絶と平和な世界の実現をめざす大邱と広島の会」を結成したのだ。
被爆者の豊永恵三郎さん(83)や代表の中谷悦子さん(69)をはじめ、広島からの一行は14人。韓国語を交えて自己紹介した後、望郷の歌を合唱した。「原爆被害者の痛みは日韓で同じ。政治は関係ない」。大邱で暮らす韓坂介(ハン・パンゲ)さん(82)は繰り返した。
痛みは同じ―。しかし日本の植民地時代に被爆した韓国の人たちは、長く日本の被爆者援護の枠外に置かれた。大半は韓国に戻っても生活基盤がなく、放射線障害に苦しみ、貧しい暮らしを強いられた。「食べ物がないけえ、本当に苦労した」。広島で被爆した金日祚(キム・イルチョ)さん(90)が広島弁で振り返った。
この間、被爆者健康手帳の取得や渡日治療、援護の格差是正を求める在韓被爆者の苦闘を半世紀近く支えてきたのが豊永さんたちだ。日韓関係が冷え込んでも、絆が途絶えることはなかった。交流会の雰囲気から、両者の厚い信頼関係が伝わってきた。
ただ、当事者たちも高齢化している。新たな会の結成には「今のうちに若い人に後を継いでほしい」という思いがある。これを機に日韓の被爆者と若い世代の交流の場が広がってほしい。時間は限られている。
(2019年5月24日朝刊掲載)