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社説・コラム

『潮流』 戦中派の熱量

■経済部長 寿山晴彦

 戦時下の呉を描いた映画「この世界の片隅に」のヒロイン浦野すずは、1925(大正14)年生まれとの設定だ。この人は、3歳年上に当たる。イズミ創業者の山西義政さん(96)。先月末、取締役を退任し、経営の一線から退いた。第2次大戦中に青春時代を過ごした戦中派の世代に当たる。

 戦後、広島駅前の闇市で干し柿を売ったのが出発点。西日本有数の流通企業に育てた。経営者としての「熱量」が破格である。売上高を倍増させる目標を89歳で打ち出し、取材にこう語った。「闇市で明日は2倍稼ごうと思うのと一緒」。仕事一筋、「休日が苦痛」とも明かす。

 同世代にはマツダの山本健一さん、中国電力の多田公熙さん、船舶用ポンプ製造シンコーの筒井数三さんら、広島の「レジェンド経営者」がそろう。理想への熱意の強さ、器の大きさは各人に共通する。

 戦争で死ぬ、長くは生きられそうにない―。そう感じて青春を過ごした人たちだ。山西さんは、乗り込んだ潜水艦で敵艦を攻撃する作戦がたまたま延期に。筒井さんは南方の戦地で機銃掃射から逃げ延びた。

 友を亡くし、帰った故郷は原爆で廃虚。10代で教わった価値観は敗戦でひっくり返った。これからどう生きるか。青年たちは考え抜いたはずだ。戦後、ありったけのエネルギーを仕事に注いだのは、そうできるありがたみを痛いほど感じていたからに違いない。

 少し前まで、そんな世代の経営者に取材する機会がたまにあった。「昭和2桁生まれは軟弱でいけん」と豪快に笑う人も。当時は冗談と受け止めたが、平和な時代になすべきことを問いかけていたのかと思う。

 山西さんの口癖は「いつもドキドキ、ワクワク」。胸躍らせることの少ない青春があったことを、忘れていないのだろう。

(2019年6月6日朝刊掲載)

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