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在韓被爆者「展示充実を」 郭さん原爆資料館訪問 自身の提供資料を確認

 海外に住む被爆者への援護の扉を開けた韓国原爆被害者協会名誉会長、郭貴勲(カク・キフン)さん(94)が16日、広島市の原爆資料館(中区)で展示される自身の被爆の証しと向き合った。植民地支配下での被爆を伝える実物資料を半生を懸けて保存。開館から64年で設けられた「外国人被爆者コーナー」に、日本の公的記録をレプリカにして提供した。

 郭さんはソウル郊外の京畿道城南市から体調を押して訪れ、自著の回想録を翻訳刊行した旧知の井下春子さん(87)=南区=の付き添いで見学した。

 全州師範在学中に朝鮮半島での徴兵1期生として広島の西部第二部隊に送られ翌年、爆心地の約2キロで被爆し一命を取り留めた。

 「広島市空襲ニ際シ原子爆弾ニ依リ受傷悪性貧血ニ罹(かか)リタルヲ証明ス」。第二部隊改称の通称号、中国第一〇四部隊長と軍医の押印がある1945年9月2日付や、同20日付の召集解除証明書、創氏改名による「松山忠弘」名の軍隊手帳の精巧な複製が、4月のリニューアルオープンを機に展示となった。

 「ようやく在韓被爆者が認められたようだ」と笑みをこぼし、提供した資料に付く説明文を見ると険しい表情を浮かべた。「被爆したことを裏付ける重要な書類」とされていた。

 一連の資料を添えて74年被爆者健康手帳を広島市に申請したが拒否された。取得できたのは、治療を求め密入国した在韓被爆者による裁判で、最高裁が「原爆医療法は国家補償的配慮が根底にある」と交付を下した翌79年。旧厚生省はその過程で援護を国内外で隔てる通達を出していた。

 郭さんは「被爆者はどこにいても被爆者」と訴え98年に健康管理手当の受給確認を求めて提訴。政府は2002年に上告を断念し、北米・南米に住む日系人も日本の被爆者と同じ援護を受けられる道筋を切り開いた。

 「韓国朝鮮人の数え切れない死や苦難を、私の資料から知ってほしい。原爆は非人道的な兵器だからこそ、資料館は国籍や民族にかかわらず記録をさらに集め、展示を高めてほしい」と求めていた。(西本雅実)

(2019年6月17日朝刊掲載)

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