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遺品 無言の証人

焼けた帽子 

熱線の跡 12歳弟の形見

  名札にはしっかりとした字で「15 西迫盛人」と書かれている=2004年、哲夫さんが原爆資料館に寄贈(撮影・田中慎二)

 布地は焼け、麻の裏地がむき出しになっている。辛うじて形を残す帽子は、12歳だった広島一中(現国泰寺高、広島市中区)1年の西迫盛人さんがあの日、かぶっていた。すさまじい熱線を受けた跡が生々しい。若者の未来を奪った原爆のむごさを静かに訴える。

 一中は爆心地から約900メートル。1年生約300人は、校舎内、あるいは学校近くで建物疎開作業中に被爆し、大半が亡くなった。西迫さんがどちらにいたのかは分かっていない。帽子は同級生の親が見つけ、学校の寄宿舎に届けられていたという。

 内側に丁寧に縫い付けられた名札が決め手となったのだろう。兄哲夫さん(2018年に87歳で死去)が弟のために譲った帽子だった。

 哲夫さんが木箱に入れて大切に保管し、「優秀な弟だった」と盛人さんのことを思い出していた。朽ちてきた形見を「ちゃんと保管してもらおう」と04年、原爆資料館に寄贈した。4月下旬にリニューアルオープンした原爆資料館本館で、原爆の犠牲になった動員学徒の展示に加えられた。(新山京子)

(2019年6月11日朝刊掲載)

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