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社説・コラム

社説 沖縄慰霊の日 未来語る言葉に応えよ

 沖縄県はきのう慰霊の日を迎えた。全戦没者追悼式に臨んだ玉城デニー知事は名護市辺野古への米軍新基地の建設について「(政府には)断念を強く求める」と述べた。ことし2月の県民投票で辺野古埋め立て「反対」が7割を超えたことを思い起こせば、当然だろう。

 ところが、安倍晋三首相のあいさつは「沖縄に米軍基地が集中する現状を変えなければならない。負担軽減に向けて結果を出す」と述べるにとどまった。市街地と隣り合わせる米軍普天間飛行場(宜野湾市)の運用停止と返還を実現させないまま、新基地建設を進めるような矛盾をどう考えているのか。

 国内の米軍専用施設面積の70・3%が沖縄に集中する現実がある。「負担軽減」を口にするなら、普天間と辺野古を抜きにはできないはずだ。首相の沖縄に対する姿勢に、あらためて首をかしげざるを得ない。

 日米両政府は1996年に普天間返還などで合意したものの十分な進展を見ないまま23年の歳月が流れた。その間、曲折がありながらも、東アジアは緊張緩和へと向かっている。

 海兵隊を必ずしも沖縄に駐留させる必要はない―という論調が米側から発信されて久しい。元海兵隊員による女性暴行殺害事件を受け、2016年に県議会が海兵隊の撤退を決議していることも重くみるべきだ。

 そうした背景からして、県を交えた3者で米軍基地の整理・縮小を巡って再協議することも必要だろう。だが、首相はあくまで辺野古への基地建設が沖縄の基地負担軽減につながるという立場を崩さないばかりか、県民投票の後も埋め立て工事を中止させず、玉城氏の再協議の提案に応じようとしない。

 こうした現実は、本土の側が沖縄の基地問題をわがこととして考えているのか、という問いでもあろう。本来は沖縄ローカルの問題ではないにもかかわらず国民的な関心を呼んでいない。県民投票後、この議論の不在を巡って沖縄の女性研究者が地元紙に「自国の軍隊を持つことには異議を唱えるが、米軍基地については日本社会が容認していることの現れではないだろうか」と疑問を投げ掛けていた。重く受け止めたい。

 萩市と秋田市に計画される地上配備型の迎撃システム「イージス・アショア」を巡るずさんな調査から、明らかになったことがある。「日米同盟」を優先させて、地方自治はないがしろにする「国策」である。

 全戦没者追悼式で小学6年の山内玲奈(れな)さんは<青くきれいな海/この海は/どんな景色を見たのだろうか>と過酷な沖縄戦を詩にして読み上げた。3カ月に及ぶ戦闘によって日米双方で死者は20万人を超え、県民の4人に1人が犠牲になった。むろん玲奈さんも74年前の悲劇は知らないものの<伝え継いでいくことは/今に生きる私たちの使命だ>と決意を述べた。

 その決意を人ごとのように聞いてはなるまい。広島・長崎の被爆体験も、各地の空襲体験も同じように風化の危機にある。語り継ぐ使命は、いずこの地にもあるはずで、沖縄の問題を理解する素地でもあろう。

 玲奈さんは「令和時代」という言葉も用いて未来を語った。その実感に応える言葉を、政治家は持ってもらいたい。

(2019年6月24日朝刊掲載)

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