「知の拠点」ようやく一歩 広島大統合移転4半世紀 旧1号館活用
19年6月26日
県・市の連携も課題
広島市が広島大本部跡地(中区)に所有する被爆建物、旧理学部1号館の活用策が、同大の統合移転の完了から25年近くを経て、ようやく一歩を踏み出す。25日、広島大、市立大が平和研究部門の移転方針を示したと判明した。市が「知の拠点」構想の中核を担う施設と位置付けながら、商業施設や住宅の建設が先行した跡地。市の有識者懇談会による具体的な提案が土台となった。(明知隼二)
両大学の方針は、昨年11月に市の有識者懇談会が提案した、両大学と市で「ヒロシマ平和教育研究機構」(仮称)を設ける構想に沿った形となった。国内外の平和研究の拠点とし、平和をテーマとした世代間の交流、被爆資料の展示、地域のコミュニティー施設としての機能も持たせるとの内容だ。3者はこの構想に沿い、実務レベルの話し合いを重ねていた。
跡地の再開発は、広島大や市、広島県、民間事業者が関わりながら一進一退を繰り返してきた。2013年に市が1号館の無償提供を受け、事業者の再選定を経て再び動きだしたが、自動車展示場やスポーツクラブなどの整備が先行していた。1号館については、市が17年3月、E字形の建物のうち正面棟をI字形に保存する方針を決定した。
両大学の方針決定を受け、1号館の保存・活用をはじめ、どんな施設整備を目指すのか議論が始まる。設計作業も含め少なくとも数年はかかる見込みだ。市都市機能調整担当は、建物の劣化を踏まえ「補足的な調査が必要な可能性もある」という。約18億5千万円とはじく改修費用も、国の補助や3者の実際の負担は今後の協議次第となる。
また、広島県との連携も課題となりそうだ。県は海外の著名な平和研究機関との協力で独自の平和施策を展開するが、1号館に関しては、県市いずれからも連携の動きはない。被爆75年を前に、被爆地からの発信という目的を共有する両自治体の足並みも注目される。
<広島大本部跡地を巡る主な動き>
1995年 3月 広島大の東広島市への統合移転完了。跡地は国立大学財務・ 経営センターへ移管
97~98年 広島県がんセンターや、県庁の建て替え移転先の候補地に浮 上
2000年 9月 県が県がんセンター整備構想を凍結
03年 6月 県が県庁建て替えを「現時点では困難」と表明
06年 3月 広島地域大学長有志懇談会が「ひろしまの『知の拠点』再生 プロジェクト」を広島市に提案
07年 4月 市と広島大がアーバンコーポレイションを代表とする5社の 共同事業体を再開発事業者に選定
08年 8~12月 アーバンが民事再生法の適用を申請し、共同事業体が事業 者を辞退。次点の章栄不動産などの共同事業体も事業化を 断念
13年 4月 財務・経営センターが市へ旧理学部1号館を無償提供
12月 市と広島大が三菱地所レジデンスなど8社・団体の企業グル ープを事業者として発表
14年 1月 財務・経営センターが企業グループに用地3.8ヘクタール を売却
6月 市の調査で、1号館が震度6強の地震で倒壊の危険性が高い と判明
16年 6月 1号館の保存・活用を巡る市の有識者懇談会の初会合
8~10月 跡地に民間スポーツクラブ、新型車の展示施設、病院や高齢 者向けケアハウスが開業
17年 3月 市が、1号館の正面の棟をI字形に残し、平和教育・研究の 拠点や市民の交流施設とする保存・活用方針を決定
18年 2月 市が保存・活用の具体策を考える非公開の有識者検討会の初 会合
11月 有識者検討会が、1号館を平和研究・教育の国際拠点とする 案を提示
19年 6月 広島大と市立大が、1号館への平和研究部門の移転方針を固 める
(2019年6月26日朝刊掲載)