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社説・コラム

『今を読む』 被爆者・反核活動家 サーロー節子

核兵器禁止条約 採択から2年 被爆地から政府に署名迫れ

 ちょうど2年前の7月7日、私は米ニューヨークの国連本部で核兵器禁止条約が採択された瞬間を見届けた。制定交渉会議は、最終日に最高の成果を収めたのだった。

 各国政府代表と傍聴席に陣取った非政府組織(NGO)メンバー、被爆者らが喜びに沸く議場で発言を求められ、呼び掛けた。「これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか」。その約5カ月後、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))」を代表してノーベル平和賞授賞式で演説した際、強調した一言でもある。

 74年前の8月6日、一発の原爆により広島は完全に破壊され、市民が生きたまま焼かれた。その中に、私の家族や広島女学院の学友351人もいる。私は60年以上住むカナダのトロントを拠点に、被爆体験を語り、核兵器廃絶を訴えてきた。禁止条約は、被爆者にとって希望の光である。

 現実の世界の核状況は混迷を極めている。9カ国の保有する核兵器、約1万4千発が地球の将来を脅かしている。米国とロシアの中距離核戦力(INF)全廃条約は来月2日に失効する。朝鮮半島を非核化する道筋は見えない。

 禁止条約に賛同したのは122カ国・地域に上り、国連加盟国の半数を優に超える。世界の多数派が「この異常な状態を終わらせる」「どの国も核を持ってはならない、という法的取り決めが必要」と意思表示したのだ。

 条約の加盟国は今23で、50に達すれば正式な国際法となる。一刻も早く発効させねばならない。同時にICANの仲間たちは、加盟の前提となる署名を各国に促しており、その数を現在の70から100に増やすべく運動を展開している。私もカナダで政権への働き掛けに注力している。

 しかしカナダに加えて日本のように、米国の「核の傘」の下にある国は禁止条約に背を向け続けている。私は二つの祖国に裏切られた思いでいる。特に被爆国の責任は重大だ。もし日本政府が方針転換すれば、「米国と軍事同盟を結ぶ国でも条約参加は可能」という前例になる。そうするよう働き掛ける責務は、まずは被爆地広島と長崎にある。

 その点で、もどかしい気持ちを抱き続けている。

 昨年11月に日本に戻り、広島市の松井一実市長と面会した際のことだ。私の理解では、「自分が会長を務める平和首長会議の総意として、禁止条約への賛同を世界の為政者に求めている。だが、広島市長として日本政府に直接訴えることはしない」と説明を受けた。納得できなかった。

 「今は平和首長会議の会長として話す」「ここから先は被爆地の市長として言う」などと使い分けながら、禁止条約について二つの立場を取るのなら、それを聞く海外の人たちは混乱するだろう。実は国にもの申すことはしたくない、というのが本音なのか、との疑問も湧いた。

 広島市長は、原爆の日の平和記念式典で「平和宣言」を読み上げる。禁止条約について昨年と一昨年は、「核兵器のない世界への一里塚とするための取り組み」を「為政者」に求めたり、「非保有国と保有国の橋渡し」を日本に望んだりする内容だった。ごく一般的な表現である。広島の被爆者団体や市民団体が市長に宛てて、日本政府に条約参加を求めるよう要請していると聞く。私も皆さんと思いを共にしている。

 広島市長は、被爆者と市民の願いを代弁して発信する使命を背負う存在だ。では、被爆者の願いとは何か。日本が政策を転換して禁止条約に賛同すること。そして、署名・批准を通して核兵器廃絶の先頭に立つことである。

 今年の平和記念式典では、参列した安倍晋三首相の面前で、一般論ではなく、被爆地の市長にしか語れない言葉を明確に語ってほしい。平和宣言は世界から注目される。曖昧な言葉では「被爆者は日本の条約参加を強く望んでいない」とまで思われかねない。

 私たちはこの2年間、被爆者の思いを酌み禁止条約を実現させた非核保有国の勇気に、称賛と感謝の意を伝えてきた。次は「核兵器の終わりの始まり」のスタート地点にも立っていない国々に行動を迫る番である。

 32年広島市生まれ。カナダ・トロント大大学院で修士号(社会福祉学)。元トロント市教委ソーシャルワーカー。自叙伝「光に向かって這(は)っていけ 核なき世界を追い求めて」を今月下旬、岩波書店から出版。

(2019年7月9日朝刊掲載)

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