×

社説・コラム

『この人』 平和記念式典で平和の鐘を突く遺族代表 面出明子さん

 被爆74年の原爆の日、広島市の平和記念式典で「平和の鐘」の音を響かせる。祖母の美津子さん(2008年に88歳で死去)と父の隆司さん(77)が被爆。「身の引き締まる思い。亡くなられた方の冥福と、世界の一人でも多くの人が穏やかに暮らせるよう祈りたい」

 あの日、美津子さんは爆心地から約4キロの古田町にいた。牛の引く荷車に瓦を積んで井口の自宅に運ぶ途中で、隆司さんと荷台に乗っていた。原爆の衝撃に牛が驚き、必死で隆司さんを抱いて守ったという。当時まだ3歳だった隆司さんの記憶によると、「太陽が二つ出た。熱かった」。

 美津子さんは負傷者が運び込まれた近くの寺の救護所を手伝っており、その時の様子などを折に触れて話してくれた。「いつも元気で弱みを見せるような人ではなく、子どもの頃は想像ができなかった」。だが、大人になるにつれて、その経験の重みが少しずつ分かるようになった。

 昨秋、美津子さんが被爆体験をつづった手記が自宅で見つかった。頭の骨が折れたように見えた子どもの姿。耳にうじがわいた負傷者―。1988年、便箋8枚に書かれたもので、家族はその存在を知らなかった。断片的に聞いていた「点」の被爆体験が「線」となり、詳細に胸に迫ってきた。そして、今回の遺族代表の打診。「これは偶然ではないのかな」。導かれるように役を受けた。

 両親と西区に暮らす。「被爆2世として核兵器をなくすことは最終目的だけれど、平穏な当たり前の日常こそが平和だと思う」。被爆を生き抜いた祖母たちへの感謝を鐘の音に込める。(野田華奈子)

(2019年7月11日朝刊掲載)

年別アーカイブ