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社説・コラム

『潮流』 ヒロシマの「憲法」

■特別論説委員 佐田尾信作

 先日、広島平和記念都市建設法制定70周年の記念シンポジウムのコーディネーターを務めた。いい「おさらい」の機会だったが、あらためて気付かされることが少なくなかった。

 この法律は憲法95条に根拠を持つ、住民投票によって定めた特別法である。キーパーソンは当時、参議院事務部長を務めていた寺光(てらみつ)忠という広島人だった。寺光は広島市の「復興国営請願」を受けるや、直ちに法案起草に着手する。

 初期の案では前文を掲げて法制定の目的を定めようとしていた。前文は最終的には省いたものの、第1条では「恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として」という文言を盛り込み、第6条では広島市長に平和記念都市の完成への「不断の活動」を求めている。既に公布されていた新憲法を意識したのではないかと想像できる。

 「広島市被爆70年史」によると、この特別法の名称について本当は、広島▽記念▽建設-の言葉を使わない「平和都市法」でありたかったと、寺光は後に述べている。一地域の特別法にあらず、復興だけが目的にあらず―。その意味で平和都市法の名乗りこそが法の理念にふさわしいという信念があったのだろう。

 それだけに、晩年の寺光にはじくじたる思いもあったようだ。被爆40年の節目には本紙に寄稿し「この法は市財政の助けのためには大いに利用されたが、その法の精神は守られ通しているといえるだろうか」と疑問符を付けている。

 この頃までに基町地区再開発は完了し、相生橋の架け替えも終わっていた。都市インフラの面では生まれ変わった広島だが、ヒロシマとしての役目は果たしているのか―。寺光の問いは今も古びていない。

 シンポでは筆者も努めて平和都市法という言葉を用いた。広島の恩人への、リスペクトを込めて。

(2019年7月22日朝刊掲載)

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