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母校の後輩にバトン渡す 「1日の差が生死を分けた」 舟入高 加藤さんと林さん対談

 広島市中区の舟入高で、前身の市立第一高等女学校(市女)卒業生の加藤八千代さん(90)=西区=が、舟入高出身の林玲子さん(78)=同=と対談し、戦時中の学校生活や被爆体験を語った。「あの日」を生き延びた市女生の多くが90歳を迎え、在校生にとって先輩から被爆体験を聞く機会は年々重みを増している。

 当時16歳だった加藤さんは市女の専攻科に在籍していた。校内は終戦の1年ほど前から軍服を作る工場になっていたという。8月6日は学徒動員先が休みで、友人と出かけようと待ち合わせていた己斐駅(現西広島駅)で被爆した。

 「翌日は爆心地付近で建物疎開作業に出る予定だった。1日の差が生死を分けてしまった―」。6日は1、2年生の作業日で、541人が被爆死。市女全体では教職員を含め676人が犠牲になった。加藤さんと待ち合わせをしていた友人も、己斐駅に現れることなく亡くなった。

 4歳で被爆した林さんに後輩へのメッセージを求められると、加藤さんは「戦争は破壊であり、平和は希望と自由。現在は努力すれば目的を達成できる。戦争のない平和な世界が続くよう頑張って」と訴えた。

 1年生約320人が聞き入った。細谷美帆さん(15)と河村侑哉さん(15)は「市女の生徒は、『国のために尽くす』という状況に置かれた中で原爆に遭ったと知った」「僕らは直接、先輩から話を聞ける最後の世代。積極的に被爆者の話を聞く機会を探したい」とそれぞれ話した。

 舟入高は毎年、市女の生存者を招いて平和学習を開いてきたが、最近は亡くなったり体調を崩したりして体験を語れる人が減っているという。日浦毅校長(59)は「生徒が先輩方からバトンを渡されたことをしっかり自覚し、次世代につないでいってほしい」と期待した。(桑島美帆)

 加藤さんと林さんの対談の様子を、ヒロシマ平和メディアセンターのウェブサイト「動画で平和発信」のコーナーにアップします。

(2019年7月23日朝刊掲載)

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