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「平和の鐘」70年 8・6に響け 復興の音 市民、慰霊と追悼催し

金属集め鋳物職人が製造

 原爆が落とされて4年後の1949年8月6日に「第3回平和祭」(現平和記念式典)で打ち鳴らされた「平和の鐘」が、設置から70年の節目を迎える。中央公園(広島市中区)にあり、被爆地の復興を推し進めた「広島平和記念都市建設法」の公布に合わせて平和祭前日に設置されたが、以後式典では使われていない。(金崎由美)

 この鐘を後世に伝えようと、4年前から元市職員の高東博視さん(73)=佐伯区=ら市民有志14人でつくる実行委員会が平和記念式典の終了後に「響け!平和の鐘祈念式」を開いている。高さ約9メートルの鉄製の鐘楼につるされ、高さ約1・4メートル、重さ約800キロ。洋風のベルの形で「NO MORE HIROSHIMAS(ノーモア・ヒロシマズ)」の文言やハトの姿がかたどられている。

 広島銅合金鋳造会の鋳物職人たちが、慰霊と「あの日を忘れない」との思いを込め、焼け跡の金属を集めて造った。1、2回目の平和祭では旧海軍から払い下げられた鐘を借りて使っていたことから、「2代目」の鋳造を志したという。広島平和記念都市建設法の成立時期と重なったため、その記念として市に寄贈。平和祭で鐘が打ち鳴らされ、占領軍の出席者の前で浜井信三市長が平和宣言を読み上げた。

 50年は朝鮮戦争のあおりで平和祭が中止に。51年には同法に基づき整備が始まっていた平和記念公園で式典を再開した。現在、参列者が黙とうする午前8時15分に遺族代表と子ども代表が突く鐘は、通算で5代目になる。57年、2代目の鐘の南側に旧広島市民球場ができた。

 実行委は今年も8月6日午前9時半から現地で祈念式を行い、参加者が順番に鐘を打ち鳴らす。大勢の飛び入り参加を期待している。

 「ブリキ缶をたたいたような音。美しい音とはいえないが…」と高東さんは語る。それ自体、原爆被害が刻まれた寄せ集めの材料で、復興期に苦労の末造られたことの証しでもある。「職人も、被爆したり家族を亡くしたりした人が多かった。あの時代の慰霊と追悼の思いを、若い世代に知ってほしい」

 松村伸吉さん(78)=西区=は、鋳造会会長だった父の米吉さんが陣頭指揮を執った作業現場を覚えている。かつてプロ野球観戦で市民球場の前を通るたび、鐘に視線を送った。「亡き父も、長らく忘れられていた鐘を市民に鳴らしてもらい喜んでいるはず」と話している。

(2019年7月29日朝刊掲載)

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