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『書評』 ヒロシマの「河」 土屋時子・八木良広編 

よみがえる「炎の時代」

<髪にそよぐ風のように生き、燃えつくした炎のように死ぬ>
 フランスの抵抗詩人ルイ・アラゴンの詩の一節。原爆詩人峠三吉が好んだという。峠はこの詩のように生きて死んだが、土屋清は風のように生きることはできなかったと、編者で妻の時子は述べる。峠亡き後、その志を背負い苦闘し続けた広島の劇作家である。

 清は峠没後10年の1963年に峠をモデルにした創作劇「河(かわ)」を世に問う。脚本は改稿を重ね、70年代まで各地の劇団が上演を続けていたが、清没後の88年を最後に下火となっていた。それが時子らの「今こそ広島で上演されるべきだ」という熱い思いがあり、2017年と翌年、広島と京都で上演にこぎ着ける。

 本書は「河」を巡る清の遺稿、時子による小伝、17年の上演台本に加えて多彩な執筆陣を擁した「河」論を収めた。清を再評価するための一冊といえるだろうが、もう一つの読ませどころは「広島戦後平和運動史の再検討」(池田正彦によるあとがき)である。

 1948年末から峠が没する53年の初めまでを、清は「炎の時代」と呼んでいた。この時代区分は戦後の広島にとって重い意味を持つ。清によると、それまでは原爆投下とその後の占領の本質がまだ姿を表していない時代だ。しかし、やがて占領軍は民主勢力を圧迫し、朝鮮戦争を機に戦前回帰への流れが始まる。

 広島では非合法の平和集会が開かれ、反戦ビラは百貨店の屋上からばらまかれた。朝鮮半島で原爆を使うな、と告発した。峠は「一九五〇年の八月六日」という詩にする。これが「炎の時代」の頂点にして戦後日本の平和運動の原点であり「河」として表現すべきだと清は決意したのだ。

 ことしで初演から56年の歳月が流れたが、核を巡る情勢は予断を許さない。「唯一の戦争被爆国」は核兵器禁止条約に背を向け、米トランプ政権の核戦略強化に物申すこともしない。そしてヒロシマはどうか。「河」を通して清が突き付けてきた問いは変わっていまい。(佐田尾信作・特別論説委員)

藤原書店・3456円

(2019年8月4日朝刊掲載)

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