×

ニュース

戦前の「被服支廠」 続々と 市民団体、本刊行へ資料募り 従業員の写真や訓示文書

 広島市南区に被爆建物の倉庫が残る「旧陸軍被服支廠(ししょう)」の戦前の縫製工場内の様子を記録した写真や、職員への「訓示」などの文書が相次ぎ見つかった。市民団体「旧被服支廠の保全を願う懇談会」が被服支廠に関する本を作成するために募り、職員の遺族たちが寄せた。同会は「貴重な歴史資料」としている。(水川恭輔)

 何本も柱が連なる大きな木造建物でミシンに向かう多くの女性と、軍服や背広姿の男性たち―。石木信昭さん(77)=佐伯区=は、被服支廠の縫製工場の写真を寄せた。66歳で被爆死した祖父の故信助さんが一時勤めていた。

 被服支廠は、1905年に陸軍被服廠広島出張所として設けられ、07年に支廠に昇格。「軍都」の基幹施設の一つとして多くの人が勤め、軍服や軍靴などをつくっていた。懇談会によると、工場内部を撮影した写真の確認は初めてという。

 一方、久保忠司さん(72)=南区=は、元職員だった父の故性三さんが残していた文書群を寄せた。その一つの「従業員に対する訓示要旨」も懇談会が初めて確認。戦時下、職員に「軍用被服ニ己ノ血ヲ通ハシメ肉ヲ付シ以テ大東亜戦争ヲ皇軍将兵ト相共ニ戦フ」などと説いている。取り扱っていた生地の一覧や職員互助会の資料も含んでいた。

 懇談会の内藤達郎事務局長(77)は「戦前の様子が目に浮かぶ貴重な資料が相次ぎ見つかっている。歴史を後世に伝えるのに生かしたい」と話す。ほかに多くの女性が働く中で設けられていた保育所の写真なども寄せられた。団体は年内の本刊行を目指し、引き続き資料を募る。内藤さん☎090(6408)1528。電子メールhifukushisho@gmail.com

(2019年8月5日朝刊掲載)

年別アーカイブ