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被爆体験継承へ仏教界模索 広島 僧侶有志ら 伝承講話や本出版

 原爆投下から74年。被爆の惨状を直接知る僧侶は年々減り、広島の仏教界では被爆体験の継承や非戦平和への思いの浸透が大きな課題となっている。体験の伝承者になったり、高齢で証言活動が難しくなる中で体験を本にしたりといった次世代につなぐ活動の模索は、僧侶個々や有志のグループに限定されているのが現状だ。(久行大輝)

 広島市中区の原爆資料館東館で7月25日、浄土真宗本願寺派浄寶(じょうほう)寺(中区大手町)の諏訪義円住職(46)が市の「被爆体験伝承者」として、当時15歳だった寺前妙子さん(89)=安佐南区=の伝承講話に臨んだ。

 受け継いだ1945年8月6日の記憶。左目を失明したこと、避難先の金輪島(南区)で同年代の若者が「お母さん」と呼びながら亡くなっていった様子、市内の惨状などに、観光客たち約20人が聞き入った。

 今は平和記念公園(中区)一帯となった旧中島地区に浄寶寺はあった。原爆で寺は全壊。寺を切り盛りした両親と姉を一度に失い、前住職の了我(りょうが)さんは12歳で孤児となった。現在地で寺の再建を果たし、原爆が広島に何をもたらしたのかの証言を使命とした。

 本願寺派宗務所に勤めた諏訪住職は7年前、了我さんの養子に迎えられた。寺の歴史を継ぐ重責を感じる一方、「戦争を知らない世代に何ができるのか」と悩んだ。伝承者養成事業を知ったのはその頃だった。

使命引き継ぐ

 3年間の研修で知ったのは、寺前さんのように心の傷と闘いながら平和を強く願って証言する人が多いことだ。2016年から伝承者として月1回、原爆資料館の講話を担当し、県外の小中高校にも招かれた。

 「気負わず、教えを基に平和を説き続けてほしい」と諏訪住職に託した了我さんは今年3月、85歳で亡くなった。毎年8月6日にある旧中島本町の法要で導師を引き継ぎ、了我さんの体験と使命を受け継いでいくと誓う。

 本願寺派永光寺(中区舟入本町)の僧侶永光聖法さん(36)は今夏、原爆で全壊し再建された寺の歴史と101歳の祖母美恵子さんの被爆体験を伝えていく決意をした。終戦翌年の1946年から広島赤十字・原爆病院(中区)で続く仏教講演会の講師が7月に回ってきたのがきっかけだった。

 同寺の資料はほぼ残っていない。講師が決まって祖母から改めて体験を聞いた。その記憶と言葉を自分の中に落とし込む。「祖母がおらんかったら私はおらん。生かされ、つながれた命だからこそ、広島に根差す宗教者だからこそ語り継いでいかなければ」。講演会では約30人を前に、人と人がつながって生きる念仏の教えを説いた。

 被爆体験の証言活動が高齢化で難しくなる中、体験を書き残す動きがある。家族4人を亡くした高野山真言宗寶勝院(中区白島九軒町)の名誉住職国分良徳さん(90)は3年前、「広島の歴史と被爆体験記」を自費出版した。「家族を突然奪われる恐ろしさ、広島でつないできた平和の願いを多くの人に理解してもらいたい」と思いを語る。

先細りを懸念

 本願寺派西教寺(呉市長ノ木町)の前住職岩崎正衛さん(88)は自身の被爆体験を、僧侶養成機関の広島仏教学院(西区)の授業や各地での講話などで繰り返し証言してきた。

 最近は体調が優れず証言の機会が減る一方、「個人や国家間の競争を是とする空気が高まり、紛争やテロ、格差社会につながっているように思う」と危機感は大きくなる。軍隊も武器も必要ないとする「兵戈(ひょうが)無用」の教えを示し、「若い僧侶が語り継ぎ、核兵器廃絶という被爆地の使命に貢献する役割を担ってほしい」と期待する。

 被爆体験の継承の先細りが懸念される事態に、仏教界はどう対応するのか。本願寺派総合研究所の満井秀城副所長(60)=西教寺(廿日市市大野郷)住職=は「これまで個人や寺に頼ってきた継承に宗派として力を入れる。僧侶や遺族からの証言の聞き取りや資料収集に取り組みたい」との考えを示す。

(2019年8月5日朝刊掲載)

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