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社説・コラム

天風録 『月曜の朝のピカドン』

 「月月火水木金金」の戦時中だから平日も休日もない。それでも週1度の朝礼は、月曜の始業前と決めていた銀行があった。そうして出勤を急ぐ行員たちの頭上にも容赦なく、閃光(せんこう)と熱線、放射線と爆風が襲いかかる▲74年前のきょう、気分を一新する週初めの月曜、しかも町の真ん中に人々が集まり始めた午前8時15分、米軍は原爆を投下した。市民を狙った無差別空爆は、たとえ原爆でなかったとしても、到底許されるはずはない▲ところが長い間、米国を憎んでも体験を一切話そうとしない被爆者の何と多かったことか。九死に一生を得た喜びよりも、大切な人を亡くし、自分だけが生き残った。そんな自分自身を責め続けた▲ある12歳の中学生は腹痛のため建物疎開作業を休んだが、爆心地近くの現場に向かった級友全員を原爆に奪われた。「親しかった友の両親の顔を見るのも見られるのも、つらかった」。いたたまれず、退学してしまう▲その被爆者は30年以上たって、証言活動が「後ろめたさを克服する一つの道」と気付き、体験を語り始めたそうだ。そうした万感の思いがこもる記憶の数々を、この町は受け継いできた。むろん、あすからも、休むことなく。

(2019年8月6日朝刊掲載)

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