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8・6 思いを継ぐ 平和と非核 福山から

 原爆投下から74年を迎えた6日、備後地域でも追悼の催しが各地で開かれた。台風8号の接近で小雨の降る中、出席者は犠牲者に祈りをささげた。被爆者の高齢化が進み記憶の継承が課題となっていることを案じつつ、核兵器のない平和な世界の実現を願った。

慰霊式典 被爆者ら参列

 福山市原爆被害者友の会が霞町の中央公園で開いた慰霊式典には、被爆者や遺族たち約50人が参列した。6月までの1年間で亡くなった26人を含む1391人分の死没者名簿を慰霊碑に納め、セミの鳴き声を聞きつつ、全員で静かに黙とうした。被爆2世で友の会会長の藤井悟さん(72)は「平和を願う市民と共に、反戦と過ちを繰り返さないことに全力を尽くす」と、参列者を前に決意を語った。参列者は折り鶴や折りばら、菊を手向けた。

 市によると、3月時点で被爆者健康手帳を持つ市内の被爆者は968人。2009年3月の1812人から10年で約半数に減少した。

 広島市東区で被爆した池尻博さん(94)=松永町=は「平和を祈り核廃絶を訴えるのは生き残ったものの責務。被爆者が少なくなる中、若い世代に思いを託していきたい」と話した。(川村正治)

「若い世代で」揺るがぬ決意 式典で司会 大学1年船井さん

 福山市霞町の中央公園であった慰霊式典。「若者がいない」と感じつつ、大学1年船井木奈美(こなみ)さん(18)は会場を見渡した。「私たち若い世代が被爆者たちの活動に加わっていかなければいけない」。神奈川県の慶応大に今春進学したが、福山時代からの変わらぬ思いを胸に、昨年に続いて司会を務めた。

 中学2年の時に、市人権平和資料館の市民団体の活動に加わり、原爆投下や福山空襲の体験を聞いてきた。約10人の被爆体験を聞いて心の奥まで届いたのは、「次の世代に悲惨な被爆の歴史を語り残そうとする強い思い」だった。

 英数学館高時代は高校生平和大使を務め、スイスの国連欧州本部などを訪問し核廃絶を訴えてきた。ただ、慰霊式典への参加や、核兵器廃絶を求める署名などへの同世代の関心の低さが心に残り続けた。大学の友人の中には、原爆が落とされた日付を知らない人もいた。

 今年の式典を終え、来年は高校時代の友人たちに声を掛けて参列したいと深く思った。「参加したら、被爆者や遺族がどんな思いで来ているか感じられることがあるはず。思いを受け取らなければいけない」(川村正治)

三原・尾道でも追悼

 三原市では、市原爆被害者之会が、同市本町の慰霊碑前で式典を開いた。約80人が黙とう後に花を手向けた。苞山(ほうやま)正男会長(90)は「核兵器廃絶のため、核兵器禁止条約への日本の参加は絶対に必要」と力を込めた。

 死没者名簿には今回26人が加わり、計546人になった。「会員が減り組織運営が厳しくなっているが、戦争体験者として、悲惨さを語っていくのが責務」と苞山会長。今年から被爆者団体の活動を支えるため、寄付金を呼び掛けているという。

 尾道市東尾道の慰霊碑前では、尾道地区原爆被害者の会が式典を開催。槙原弘会長(87)や地元の中学生たち20人が参列した。

 槙原会長は「被爆者の高齢化が進むが、2世の会を組織するなどして慰霊碑を守り続けてほしい」とあいさつ。被爆2世の石田安利さん(72)は「来年は2世の会と被害者の会が合同で式典を開けるようにしたい」と意欲を見せた。

 御調町の御調文化会館では、御調町原爆被害者協議会が追悼法要を開いた。約30人が出席し、この一年で亡くなった被爆者2人の名前が読み上げられた。

 御調中の生徒が初めて法要に参加した。3年の中川清玲(すみれ)さん(15)は「原爆の悲惨さを未来に語り継がないといけない」と誓った。(政綱宜規、田中謙太郎、村島健輔)

(2019年8月7日朝刊掲載)

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