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平和築く これからも 姉の遺骨見つけ、家族と同じ墓に入れてあげたい 8・6ドキュメント

歌や絵 ささげる祈り/国を超え 願いは一つ

 0・00 かけがえのないこの瞬間、なくさないで大事にしていこう―。埼玉県のシンガー・ソングライター神林雄一さん(49)は原爆ドームそばで、命をテーマにした曲をギターで弾き語り。「広島では毎年ピースフルな人に出会え、これから1年の力になる。平和を大切にする心を地元にも伝えたい」

 0・15 大学時代の後輩4人と元安橋を訪れた広島市東区の会社員金子宏さん(31)は、原爆ドームの写真をツイッターに投稿。「若い世代が原爆について考えるきっかけになれば」。曽祖母を原爆で亡くし、改憲への危機感を感じる。「戦争は二度としてはいけない。今の平和憲法を守るべきだ」

 1・25 中区の飲食店経営黒田康紀さん(50)は、スタッフや客と6月末から折った千羽鶴を原爆の子の像にささげた。被爆者の高齢化に危機感を覚え、平和の大切さを発信する力になりたいと考えた。「1羽ずつ願いを込めて折ってもらうことに意味がある」

 2・00 「見た人に戦争の悲惨さを感じてほしい」。呉市の画家鷹取昌史さん(57)が、アクリル絵の具やクレヨンで原爆ドームの絵を描き上げた。被爆直後の惨状をイメージして、背景に立ち上がる煙も描き加えた。

 3・10 祖父母と両親、姉2人を原爆で失った西区の鈴藤実さん(88)が、原爆慰霊碑に手を合わせた。原爆投下から約3週間後、亡くなった両親の遺体を枯れ草の上に並べて火を付けた。手が震えてマッチをすれなかった。「私のような思いはもう誰にもさせたくない。日本は核兵器禁止条約に署名を」と語気を強めた。

 4・00 「心無い言葉でまたも傷付きし涙に濡(ぬ)れる原爆手帳」。原爆ドームそばで、中区の派遣社員中岡忠司さん(41)が俳句を詠んだ。被爆者だった祖母は2013年に病気で亡くなる直前、自らの体験を語り始めたという。祖母の手帳を手に「戦後に受けた差別など、祖母が伝えてくれた体験を少しでも後世に残したい」と誓う。

 7・40 安佐南区の金江桂子さん(87)は原爆で父と妹2人を亡くした。体が動くうちにと、昨年から「原爆の日」に長女(55)と平和記念公園を訪れている。「妹1人はどこで亡くなったかさえ、分からない」と涙ぐんだ。

 8・30 原爆ドーム前で、訪れた人たちが少しずつ筆を加えてドームの絵を完成させる「合作画」。雨脚が強まったが、観光で訪れたフランス人のマリー・プレボさん(20)は「広島で起きた悲劇を表現する印象的な活動」と参加。平和への思いを込め、紫の絵の具で屋根を描いた。

 9・30 安佐南区の長束中の生徒は平和記念公園で「一緒に平和な世界をつくろう」と英語で書いたB5判のカードを外国人観光客に配った。3年森岡莉彩さん(14)は「英国の教師が帰国後、教え子に伝えると言ってくれた。平和な世界にしていきたい」。

 10・00 広島国際会議場のそばに約60人の歌声が響いた。ビオラ奏者の沖田孝司さん(61)=安佐北区=が声を掛けた友人や知人のほか、中学生40人も飛び入り参加。沖田さんが作詞作曲した「ひろしまのうた」を熱唱した。沖田さんは「争いのない穏やかな暮らしや、平和を願う気持ちを込めた」。

 11・00 出雲市の石野真さん(71)は、中区で開かれていた「広島原爆と戦争展」を訪問。爆心地から2・8キロで被爆した篠田恵さん(87)の体験を聞いた。石野さんの父一義さんも約2キロで被爆。10年後、原爆症とみられる症状で33歳で亡くなった。篠田さんから焼け焦げた遺体が並ぶ悲惨な光景を聞いた石野さん。「父も同じ光景を見たのだろう」としのんだ。

 11・45 原爆の子の像のそばで、安芸府中高(府中町)の生徒13人が、被爆して12歳で亡くなった佐々木禎子さんの生涯と像の建立を物語にした紙芝居を披露。外国人観光客向けに英語で説明した。2年和木田千尋さん(17)は「たくさんの人が集まり、泣く人もいた。悲劇と私たちの思いは伝わっている」。

 12・30 生協ひろしま虹のコーラスが、原爆の子の像の近くで合唱を披露。聴いた市嘱託職員池庄司幸臣さん(65)=西区=は「心に響く歌声。彼らのように一人一人がさまざまな手段で平和にアプローチする世界になれば」と願った。

 13・10 原爆の子の像にささげられた折り鶴を再利用したドレスなどを披露するファッションショーが、中区のJMSアステールプラザであった。被爆4世で、折り鶴3千羽を使ったドレスを着た福山市の道上小1年高橋紋菜(もな)さん(6)は「みんなの気持ちがいっぱいのドレス。着られて楽しかった」。

 13・45 被爆者の松岡美代子さん(85)=南区=が原爆供養塔前に張られた名簿をなぞる。左官町(現中区)に仕事へ出たきり帰ってこない姉の名前を探した。原爆投下から数日後、捜し歩いた時に見た広島の街は「地獄」。「黒焦げになった母の上に座る赤ちゃんに水をあげた。あの子もきっと亡くなった」。供養塔は毎年訪れる。「本当に優しい姉だった。遺骨を見つけ、せめて家族と同じ墓に入れてあげたい」

 14・30 「全ての暴力に反対し、平和な世界を実現できるよう私たちが動かなければ」。イタリアから大学の卒業旅行で広島を訪れたバレリア・ブルナーレさん(21)は、原爆資料館の展示に心を揺さぶられた。

 15・30 8歳の時に爆心地から2・8キロの自宅で被爆した岡田恵美子さん(82)が広島国際会議場で被爆体験を語った。「言葉だけの世界平和で終わってほしくない。核兵器廃絶は簡単ではないが、諦めずに訴え続けなくては」と力を込めた。

 16・00 広島国際会議場で、広島市内の7中学・高校の美術部員たちが「広島と平和」をテーマに創作したアニメーションを上映した。二葉中3年の黒川美結さん(15)=東区=たちは、原爆投下がなかったと仮定し、平穏な日々が続いた広島を描いた。「多くの暮らしが一瞬で破壊された。平和な日常の大切さを感じてもらえる作品ができたと思う」

 17・50 広島出身の画家丸木位里と妻の俊が描いた「原爆の図」の絵を使った紙芝居「ちっちゃい こえ」の上演が中区であった。演じ手は、作者で詩人のアーサー・ビナードさん(52)。約70人が見入った。広島経済大3年の早稲田亮太さん(20)=東区=は「体の中の『サイボウ』が壊される物語で、原爆や放射能の怖さがよく分かった」と話した。

 19・00 辺りが暗くなり始めた元安川に安佐南区の栖原喜代美さん(70)が、小学生の孫2人と灯籠を浮かべた。「核兵器のない世界を願ってやみません」とメッセージを記した。「平和な世界を孫たちの代まで引き継いでほしい」

(2019年8月7日朝刊掲載)

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