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「復興」旗 片隅の気概 モデル孫 「この世界」監督と対面

未来へ。原爆の日の誓い

 核兵器廃絶へ新たな一歩を―。令和最初の原爆の日を迎えた広島は、時代や国を超えて74年前の記憶を引き継ぎ、前へ踏み出そうとする動きが各地で見られた。11月に予定されるローマ法王フランシスコの広島、長崎訪問に向けて、被爆者や若者たちが思いを共有。ソーシャルメディアを生かした発信など、新たな継承のかたちを探る人たちの姿もあった。

 戦時中の呉、広島市を舞台にしたアニメ映画「この世界の片隅に」の終盤、原爆で壊滅した広島の街に「復興」と書かれた旗が掲げられるシーンがある。モデルとなった旗を原爆が落とされた翌日、自宅兼工場の焼け跡に立てたという男性の孫3人が6日、同作を上映中の広島市中区の八丁座で片渕須直監督(58)と初対面し、復興の旗への思いを語り合った。

 旗は爆心地から約900メートル、現在の中区榎町で製菓業を営んでいた小原友次郎さん=当時(61)=が作った。孫の英二さん(66)=中区、宮川薫さん(61)=南区、中村京子さん(66)=西区=によると、「絶対ここにみんなで力を合わせて工場を造り直すんじゃ」と言い、焼け残った布地に焼け跡の炭で復興の文字を書いたという。

 友次郎さんは次第に寝込むようになり9月1日に亡くなった。5人の息子は力を合わせて菓子工場を再建。1976年に原爆資料館へ寄贈された旗は今、東館に展示されている。

 片渕監督は戦時下をひた向きに生きる人々を描くため、当時の暮らしや風景を再現する考証作業に力を入れた。その過程で原爆資料館の収蔵資料の中に旗を見つけた。作中では主人公のすずが夫の周作と再会するシーンで原爆ドーム向かいの元安川沿いに立つ。「次の時代に向かって歩きださなければならない、そんな原動力を感じた」と取り入れた理由を説明し、「復興の旗と皆さんに巡り合えてよかった」と涙ぐんだ。

 宮川さんが「祖父はすずさんと同じ片隅に生きる人だったと思う」と話すと、片渕監督は「この旗の下に力を合わせて戦後を生き抜いた家族がいた。映画の外に本当の広島がある。そのことが伝わって広がればいい」とうなずいた。

 八丁座では英語字幕版を8日まで上映する。この日は片渕監督の舞台あいさつもあった。(山中和久)

(2019年8月7日朝刊掲載)

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