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社説・コラム

『記者縦横』 ヒロシマ どう伝えるか

■報道部 野田華奈子

 かつて、ある高齢の被爆者の女性を取材した。1945年8月6日、いつものように勤めに出た父は戻らず、行方不明のまま。貧困の中で病苦に耐え、小学校教諭として懸命に働きながら母ときょうだいを支えた。そして、多くの子どもたちを育てた。

 一市民として頭が下がる思いがし、話を聞き終えて言った。「生きてくださってありがとうございました」。すると、それまで淡々と、気丈に語っていた彼女の目からせきを切ったように大粒の涙があふれた。原爆が彼女に強いた苦難の大きさを、その涙で知った。

 被爆74年たってもなお、核兵器を巡る国際情勢は厳しさを増している。だからこそ、核兵器が人類に何をもたらすのか、世界はヒロシマに学び続けなければならない。核兵器は必要悪だとする政治指導者がもし彼女の涙を見たら、何を思うだろう。

 原爆資料館は4月、本館をリニューアルし、実物資料を中心に被爆の実態を感性に訴え掛ける展示内容に一新した。被爆者健康手帳を持つ被爆者の平均年齢が82歳を超える中、その経験を対面で聞く機会は減りつつある。被爆の実態と核兵器の非人道性について、確かに「伝わる」発信の工夫が被爆地には求められる。

 自らの体験を封じ、涙さえ見せずに戦後を懸命に生き抜いた被爆者たちがいたからこそ、今の私たちがある。被爆者が願う核兵器のない世界の実現を人類共通の課題に、ヒロシマを訴えたい。

(2019年8月9日朝刊掲載)

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