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社説・コラム

天風録 『手塚治虫の戦争体験』

 遠くに落ちるときは夕立のようなザーッという音。それが頭の上まで近づくと、ガラスを引っかいたようなキューンという音に変わったという。大阪の空襲で降り注いだ焼夷(しょうい)弾を、手塚治虫が回想している▲もう駄目だ、と突っ伏した。弾はわずかに外れ、近くの防空壕(ごう)を直撃する。大勢の友が死に、自らは生き延びた。だからこそ作品の中に「生命のありがたさというようなものが、意識しなくても自然に出てしまう」と▲火の鳥、ブラック・ジャック、鉄腕アトム…。没後30年の今なお読み継がれるのは、実体験から紡がれた「命の尊厳」が感じ取れるからかもしれない▲そんな「漫画の神様」も心配していた。やがて自分のような戦時の体験者はいなくなる。子どもたちに戦争の生々しさを伝えることができなくなってしまうのではないか―。少しでも食い止めたいと、描き続けたのが数多くの戦争漫画だったようだ▲中でも「紙の砦(とりで)」は半自伝的な短編だ。焼夷弾がつぶさに描かれ、罪なき市民が無残な目に遭う。空襲下にいた手塚少年の瞳に焼き付いた光景に違いない。きょう終戦の日。時代は移り変わっても、体験者の言づてを忘れてしまうわけにはいかない。

(2019年8月15日朝刊掲載)

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