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社説・コラム

『潮流』 ヒロシマとナガサキ

■ヒロシマ平和メディアセンター長 吉原圭介

 気づけば、もうツクツクボウシが鳴いている。「酷暑」と言っていたころからはずいぶんと落ち着いた。まだ残暑は続くけれど。

 暑い盛りだった今月上旬、初めて広島と長崎それぞれの「原爆の日」の式典に参列した。「怒りの広島、祈りの長崎」。両者はかつて、そう違いを象徴的に表現された。結論からいうと、少なくとも74年のことしは、そんな差を思うことはなかった。

 ただ若い世代はどう感じるのか―。ヒロシマ平和メディアセンターと、福岡市に本社を置く西日本新聞の長崎総局が連携。いずれも20代の女性記者が、両方の式典を取材した。その感想を述べ合った対談を19日付朝刊の「平和のページ」で紹介している。

 長崎の記者は広島の式典中について「原爆慰霊碑の向こうに、ずっと原爆ドームが見えていたのが印象深かった。核兵器を使うとこうなると、突きつけられている感じがした」。そう感想を述べた。

 広島の記者は長崎の式典で配られるパンフレットに、平和宣言に出てくる用語解説が載っていることを指摘した。「知識がある人たちだけではなく、幅広い年代に訴えようという意気込みが分かる」と。

 市中心部の平地に会場となる平和記念公園がある広島と、少し離れた丘の上に平和公園がある長崎。その地形的な違いも式典全体に影響を与えていたと思う。広島では式典の間、あちこちで聞こえていたデモの怒号は、長崎では首相のあいさつの時だけに聞こえた。

 考えてみれば「違い」はあって当然だし、違いと認識する必要はないのかもしれない。それぞれがお互いのいいところを見習い、切(せっ)磋琢磨(さたくま)すればいい。目的は一つ。一日も早い核兵器廃絶だ。もう少しすれば、秋の虫がそれぞれきれいな音色を響かせるだろう。その合奏も心待ちにしている。

(2019年8月22日朝刊掲載)

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