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運動会活写 戦前の記憶 資料館に遺族提供 平和記念公園内の無得幼稚園

 原爆が落とされるまで現在の平和記念公園(広島市中区)内にあった無得幼稚園の運動会とみられる写真が、原爆資料館に提供された。持ち主は、15歳で被爆し昨年3月に87歳で亡くなった津川浄(きよし)さん。長女の渡辺智子さん(60)=安佐南区=が遺品の中から見つけ「被爆前は公園ではなかったことを広く知ってもらうため、生かしてほしい」と託した。

 園児の綱引きを観客が温かく見守る様子が伝わってくる一枚。津川さんの幼少時の写真と一緒に保管されていた。資料館の下村真理学芸員によると、場所は無得幼稚園があった誓願寺の境内で、原爆資料館本館から南側にかけてのエリアに当たる。1930年代の撮影とみられ「周りの建物についてもよく分かる貴重な写真だ」という。

 津川さんの家は無得幼稚園から約500メートル南の水主町(現中区)にあった。旧制修道中3年の時に学徒動員先で被爆。家族も奇跡的に助かったが地域は壊滅し、自宅も焼失した。

 後に自衛官となった津川さんは戦争中や被爆時の体験を詳しく語ることはなかった。「父が水主町から現在の平和記念公園内に至る一帯で遊び回っていたと伯母からは聞いていた」と智子さん。銭湯でサツマイモを焼いてもらって食べた。「夕焼けで元安川がミカン色になったら帰る」が親との約束だったという。亡くなる1、2年前からは、在宅介護にもかかわらず「家に帰りたい」と智子さんに懇願するようになった。

 津川さんをみとった後「介護疲れもあって父の訴えに十分に耳を傾けてあげられなかった」と思いを巡らせていた時に写真が出てきた。智子さんは「原爆で消えた街の本来の姿を次世代に伝えてとの遺言に思えた」。父が生前語った「核の使用は人間の意思で止められる」という言葉を思い出している。(金崎由美)

(2019年8月26日朝刊掲載)

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