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悲劇も復興も 街を見つめる 福屋八丁堀本店、被爆外壁展示へ

46年1月 廃虚の店舗で再開

 百貨店の福屋(広島市中区)は、中四国地方最大の繁華街、八丁堀・紙屋町地区の中核を担ってきた。一帯は、戦前から映画館や商店がひしめくにぎやかな街だったが、米軍の原爆投下により壊滅した。同社が創業90周年を迎える10月1日、被爆後も大切に使い続けてきた八丁堀本店に、被爆した外壁などを常設展示する。八丁堀かいわいの街の歩みを、次世代へ継承する新たな試みだ。(桑島美帆)

 八丁堀本店の建物は1938(昭和13)年4月、「福屋新館」としてオープンした。当時、地下2階、地上8階建ての鉄筋造りの建物は珍しく、「白亜の殿堂」と親しまれた。上質な建材を使っており、今回公開されるテラコッタは、2階以上の外壁部分に当たる。

 「福屋五十年史」(80年発刊)によると、開店初日は車道にも人があふれ、警察官が交通整理をするほどだったという。広島市郷土資料館(南区)の高野和彦館長(63)は「12(大正元)年に路面電車が開通して以降、繁華街は旧中島地区から八丁堀へ徐々に移った。福屋が出店し、広島の街が大都市に負けない風格を得た」と説明する。

 当時の福屋の様子は、元社員の遺族から同社に今年7月に寄贈された写真からもうかがえる。「福屋新館」の向かい側にあった旧館で、晴れ着姿に身を包み新年互礼会に集う女性たち。30(昭和5)年の撮影だ。百貨店という憧れの職場で、誇らしく、生き生きした表情を浮かべている。

 しかし、徐々に戦争の影に翻弄(ほんろう)されていく。太平洋戦争の開戦以降は、売り場の大半を軍などに供出し、外壁は爆撃を避けるため迷彩色に塗られた。45年8月6日、原爆により館内は全焼する。始業前で店内に従業員はほとんどいなかったが、館内にあった広島貯金支局や中国海運局などの職員、動員学徒の多くが命を落とした。

 八丁堀一帯は壊滅状態だったものの、頑丈な造りの福屋新館はかろうじて倒壊を免れ、戦後は社員が「必ず自分たちの手で復興してみせる」と再起する。46年1月から廃虚となった店舗1階で牛乳瓶に入れた酒の販売を始め、徐々に売り場を再建していった。

 建物の完成から今年で81年。歴代の経営者が「メンテナンスをしながら大切に使う」との方針を貫き、補修を重ねている。

 市内に残る被爆建物は現在85件で、そのうち民間企業の所有は、八丁堀本店のほか広島電鉄千田町変電所(中区)などわずか8件。被爆建物の象徴だった広島アンデルセン(同)も建て替えが進む。戦前からの姿をとどめる「福屋百貨店」は、これまで以上に貴重な「歴史の証人」となる。

(2019年9月2日朝刊掲載)

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