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社説・コラム

天風録 『被爆能面が伝えるもの』

 父母が書画や茶の湯を好み、路地奥に能楽師夫妻が住んでいた。琵琶の先生もいた。軍都とはいえ、江戸の風情の名残がほのかに。戦前昭和の広島をしのぶ俳人の句を引く。志野碗(わん)の葛湯(くずゆ)に遊ぶ鳥あられ(高梨曠子(ひろこ))▲若い娘役の能面の一つに「小面(こおもて)」がある。きのうから広島県立美術館で公開中の小面は肌が黒く焼かれ、剝落も少なくない。それでも、顔の輪郭はふくよかなままで、頭頂から左右に分けた3本の毛筋も見て取れよう▲江戸の世から旧藩主浅野氏に伝えられ、あの日、今の縮景園内にあった私設美術館・観古館でピカに遭う。館は焼失したものの、能面や能衣装一式は被爆しながら焼け残った▲和辻哲郎は「若い女の面にさえも急死した人の顔面に見るような肉づけが認められる」と能面を論じる。くだんの小面も無表情であるほど、かえって悲しみを呼び覚ます。何が起きたか分からぬまま、あまたの命が失われた惨事を、人知れず伝えてきたかのように思えてならない▲先の俳人に「寒月や一息もらす萬媚(まんび)の面」という句がある。萬媚も若い娘役の能面であり、県立美術館でやはり剝落のある物を見ることができる。その瞳の奥をしかと見つめてみる。

(2019年9月11日朝刊掲載)

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